『ロルカ・ダリ 裏切られた友情』の訳者後記より。
『ロルカ・ダリー 裏切られた友情ー』 アントニーナ・ロドリーゴ著
山内政子・天童匡史・小島素子訳
少しだけ、私とスペインとの関り合いを書き記しておきたいと思います。
今から十六年前(1970年)、画廊で仕事をしていた時、「サルヴァドール・ダリのフローラ・ダリーネ版画」展のための案内状に、「魔法の杖を持った狩人ーサルヴァドール・ダリ」という文章を書いたことを、二年前から本書に携わるようになって想い出しました。
《「新しい事」は自分が持っている全てのものを捨て去った後に初めて可能なことであり、どれほど徹底して自分自身を捨てることが出来たかに全てがかかっている。サルヴァドール・ダリ、二十三歳のときの彼の決断こそ「ダリ自身」への出発の源泉であったことを今の私にはいたくはっきり理解出来るのだ。
あの時から四十年余り、我々が生きている不条理の世界の秘密を、鋭い嗅覚の猟犬を持った狩人のように、ダリは執拗に描き続けながらも、常にダリ自身でありえたのだ。(中略)
しかし、サルヴァドール・ダリ!これからは、「西洋」が自分自身を問うときなのだ。
そのために私は出発する。》
この文章を発表してから一年後、シベリア鉄道、地中海航路を経てマルセーユと、秘かに日本を出発し、一ヵ月後にスペインに辿り着いたことを、昨日のことのように想い出します。
私が「西洋」の地に第一歩を印したのはギリシアのピレウスでした。アクロポリスや古代劇場跡で、何かにつき動かされるように「聲ヲ発シ」ました。今、敢えて振り返って考えて見ますと、無意識に書いたり、行ったりしていたことが、実は一つの表現形式を求めて試行錯誤を繰り返していたことに気がつきます。そしてスペイン北部の深山で、毎日、三千メートルの山並を見ながら、ただ「私は誰なのか?」と自問しながら、廃屋に住みつき、ロバの背にパンを乗せて、村の中を売り歩いたこと等も、今となっては得がたい経験です。耳で覚えたスペイン語が、使えるようになっても、山に登っては「聲」を出していました。そして、ヨーロッパ各地の聖なる地や、古代劇場跡の「場ノ力」によって、自分が「発スル聲」に耳を澄ませて来ました。
紀元前五世紀頃には、すでにギリシアにはホメイリダイ、ラプソディーと呼ばれ、『イーリアス』や『オデュッセイア』の朗唱を行う集団がいたこと、そして日本でも北で「朗唱」を行う詩人たちを一九八〇年に知った時、私の体内で、ギリシアと北ノ大地とが感応し合いました。一九八四年五月、京都の英文学者、壽岳文章先生のお宅でひと声だけ「聲」を発しました。戦前、肉声で聴かれたというシャリアピンの声と私の声と比較して貴重なアドバイスをいただきました。そして、空海が「聲ニ實相アリ」と残していることを教えて下さいました。シアトル・ニューヨーク朗唱公演を終えて帰国した直後でしたから、より強く「聲」にこだわっている自分自身に気がつきました。そしてガルシア・ロルカです。彼自身が本書で語っているように、声に出していた作品を出版するのは「決定的に死んでしまう」ことを意味しているということを、今の私は「即興朗唱」という新しいジャンルを興して挑んでいるからでしょうか、ロルカの言葉の意味することが本当に心に痛いほど良く分かります。ロルカは私にとって今まで触れることが少なかった詩人のひとりです。他人の詩を声にのせることをほとんどしませんので、ロルカの仕事がどのようなものか、知りませんでしたが、本書に関って、ロルカの詩人としての奥深い才能に、遅ればせながら目を開かされました。アナ・マリア・ダリがしわがれ声と呼んでいるロルカの声を探して、「聲ノ質」や「聲ノ力」を知りたくなりました。でも、これは、もっと早くロルカを知っても、遅く知っても意味がないという私自身のある僥倖の一瞬です。
また、本書によって私は再びダリと巡り会い、ロルカとダリとの関わりを改めて教えられました。ブニュエルの不可解な変身にも興味を持ちました。著者を始め、様々な出会いが織りなして出来上がった本書『ロルカ・ダリー裏切られた友情ー』が、また新たに豊潤な出会いの一瞬を読者にもたらすことを期待してやみません。
(天童 匡史)
これはアントニーナ・ロドリーゴ著『ロルカ・ダリー裏切られた友情ー』(山内政子・天童匡史・小島素子訳 六興出版刊 1983年3月 初版 1988年7月 2刷 刊行 現在は絶版)の訳者後記として発表したものです。
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