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2005/10/29

大江健三郎 小説家の思い上がり

小説家の傲慢、そして「伝わらない言葉」


  
 筆者の名前を隠して読んだら、誰もが唖然とするだろう志の低い文章が巷に氾濫している。

その最も悪しき例にも為る、拙い文章に、最近、出会った。

それは朝日新聞、2005年10月18日付の朝刊に、高名な小説家・大江健三郎が書いた文章 「伝える言葉」を偶々眼にしたからだ。
(是非、この文章を探し出して、大江健三郎と言う人間の精神の荒廃、誠意を何も感じさせない、自分の事しか考えていない人間性に、驚愕するだろう、いや、本当は既に多くの人々は、大江健三郎の自分勝手な、こんな事は既に感じていて、黙って、勝手に大江を踊らして、見て居るだけなのかも知れないが)。

大江健三郎、彼がノーベル文学賞を受賞しようが、しまいが、この男は何か胡散臭いと長い間、感じていた。
それは今から30数年前、日本航空の関係者で私の知人が沖縄のホテルで偶然、大江に出会った時の事を、巴里で聞いてからかもしれない。
時期的には、今、物議をかもしている『沖縄ノート』が出版された前後の事だろう。
“僕が沖縄に来ている事は誰にも言わないで貰いたい”と彼の上司に告げるのを傍で聞いて居て、可笑しな事を言う人だと友人は思ったそうだ。そして2001年6月29日 に起こった沖縄米兵少女暴行事件、(この時、既に大江はノーベル文学賞を受賞していた)沖縄米軍基地問題を含むこの問題に、嘗て『沖縄ノート』を書き、ノーベル文学賞を受賞した1人の文学者として、何か発言が有るかと期待していたが、何らの意思表示も行動も示されず、失望した記憶が在る。

そして久方振りに見るこの新聞の大江健三郎の書いた文章に触れて、精神の荒廃、いやそれ以前の人間としての愚かさを知り、愕然とした。(この文章は本当に本人が書いたのだろうか?余りにも酷すぎるからだ。)

文学、とりわけ小説の話しでは無い。朗読、「聲」の事に関係しているので、このまま黙って私は見過ごす訳にはいかない。
「聲」に関しては、私の「場」だ。大江健三郎がどんな人間であろうが、「聲」を甘く、簡単に考えている人間など、たとえ誰であろうと黙って許す事は出来ない。それと昨年6月、私がお世話に為ったシュトゥッガルトの「作家の家」の事には何も触れていないからだ。

書き出しはこうだ。(注意“  ”内は大江自身の文章)

“ 秋の初めのドイツを、三週間、ほぼ毎日鉄道で移動しては小説を朗読し、買ってもらった本にサインする旅をしました。”

確か国際交流基金のホームページでこの催事をサポートする告知を見た記憶があるのだがそれには一切触れていないのは何故だろう。何故、出版されただけでドイツ国内の朗読の旅なのか? 日本で自分の本が売れないからドイツで本のセールスマンに為ったのか?
嘗て大江健三郎が日本国内、北海道から沖縄まで、自ら会場を借り、切符を売っての自作朗読をして歩いた事が在ったのなら納得が出来る話だが、そんな話は一度も聴いた事が無い。
まして「場」が代われば聲の出し方も変わる。そんな全身で「場の力」を感じる能力は大江に無い事が分かった。

“私の場合、小説を読むといっても、出版されたばかりの独訳なので、/ 中略 / 先ず研究者か文芸記者による解説があり、私もそれに加わってから、原文を短く読み、土地の劇団の俳優がドイツ語の朗読を見事にやってくれます。”

最初に原作者の大江が自らの声で自作を読まず、研究者や文芸記者らの解説から始める朗読会とは何か?
どんな先入観を聴衆に刷り込む必要が在るのか?余程、大江自身は自分の新作に対する自信が無いのではないか?
朗読会は、作者自身の肉聲で、(出来ればマイク無し)行われるのが、通常の朗読会で、俳優の朗読を“見事にやってくれます”と言うのも可笑しな話しだ。

“声に出して読む行為は、私のように悪文伝説がドイツにまで伝えられている作家にも、自作を検討する機会ですし、聴く側の、文体感覚の訓練にも役立ちます。幼少時に読み聞かせられた経験を思い出してください。”


“聴く側の文体感覚の訓練にも役立ちます。”?

馬鹿さ加減も度が過ぎる。阿保か、大江は。何様だと思っているだ、この男は!

これは全く余計なお世話で、この悪文小説家の思い上がりを如実に示した言葉だ。

世界の何処にこんな馬鹿なことを平気で言う作家が居るだろうか?ここまで逆上せ上がり、高慢だとは思いもよらぬ事だった。
誰もなにも言わず、大江は 裸の王様 か。

例えばジェイムズ・ジョイスはどうだ。私の朗読を聴くと文体感覚の訓練になります、とジョイスが言っただろうか?
この酷いエセィを読んで、大江健三郎の肉声を聞いていない(聞けばどの程度の人物かは直ぐ分かる)ので、結
論は出せないが、彼は耳が悪いのでは無いだろうか?

後日、或るホームページで、ノーベル賞受賞講演の大江健三郎の聲のコピー音を聴いた。
下手な英語で、リズム感も無く、お粗末極まりない、70歳を越えたひとかどの人物の聲では無い。


聲は残酷だ! 整形は出来ないから、地の姿が出る。何れ何処かで、大江健三郎の肉声を聴いたら、皆さんに改めてお知らせし、お教えします。


やはり三週間、ドイツで朗読の旅をした大江が「聲」について、何も書き記さないのは、「聲」を出して四十年余りの経験を持つ私から見て驚くべきことだ。
本を読めば、朗読だと大江健三郎は安易に考えているようだが、そんな単純で簡単な事では有るまい。
恐らく、マイクの前で自作を朗読してきたに違いない。マイクに乗せて聞かせる聲はコピー音であって、肉聲のもつ力には遥かに及ばない事さえ知らないのではないか。
大江健三郎は自ら「聲」に対して、無知で有る事を曝け出しているがその無知である事にも実は気付いてはいない。

“さて、私はベルリンで働いていた時、” 大江はベルリンで働いていた事がある?
 何をして?ワーキングビザで? まさか皿洗いをした訳でも有るまい。
最後に
“しかし、「文学の家」の経営が楽であるはずがなく、シュトゥットガルトのような経済の中心地では大企業が堂々たる建物を提供してくれていましたが、文学に通じた少数の人たちの献身で維持されているとも感じました。”

私が地元シュトゥットガルトの友人の詩人、T氏の紹介で三日間滞在したのは、昨年の6月。四階建てのこじんまりした「作家の家」。四階は執筆の為の長期滞在者用の部屋。三階は私のように短期に滞在し宿泊できる部屋が二部屋。シャワー、キッチン付きで安価で提供されている。二階は図書室と館長の部屋。一階は訪れる人達が寛げる空間。地下には安価なビ-ルやワインがあり、必要な人は代金を籠の中に入れて飲む事も出来る。また合鍵が渡され出入りも自由。こんな「作家の家」なら日本の各地に在っても良いと感じた。大江が書いたような、“堂々たる建物”でなくても、充分に機能を果たしていてアンチームな感じのこの「作家の家」に、大江は立ち寄っては居ないに違いない。もしかしたら、もう大江健三郎は作家では無いかも知れない。

ともあれドイツに行かなくても書ける文章。こんな駄文を平気で書く方も書く方、載せるほうも載せる方で、お粗末極まりない。
この何気ない手抜きの文章で、小説家・大江健三郎の精神の空洞を垣間見ることが出来た。

どうしてこんな拙い文章を書く男にノーベル財団はノーベル文学賞を与えたのか。何の御褒美なのか?
我々の知らない所で、公表出来ない何か特別の受賞理由が潜んでるのではないのか?


それにしても、ヴァレリーやプルーストも受賞はしていないノーベル文学賞とは、いったいどんな文学賞なのだろうか。

副題にある「再び書き直す」は、大江、自らが行う事だろうに。
自己に対しての戒めなのか、それにしてもお粗末な文章を書いて、良く平気で発表したものだ。

 日本の俳優、声優諸君も、この大江の文章に対してキチンと対応をしておいた方が良いのに。
 亡き義兄の伊丹十三が生きてたら、何て言うのだろうか、ね。
もっと謙虚に為った方が良いですよ、大江健三郎さん。

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2005/10/23

『詩人の言魂』 田中 左知著(思潮社刊)に名前がイニシャルで記されて・・・・

 数日前、突然、友人のM氏より電話が有り、田中左知さんてご存知ですか、という。初めて聞く名前だったので、誰ですか、と尋ねた。対馬に一緒に行かれた事が有るのではないかと言う。その田中さんなら、田中保子と言って、詩誌「ハリー」(現在・終刊)同人で、確かに、同人の川口氏と共に対馬での第1回目の和多都美神社での、「聲の奉納」に参加してくれ、公に中州通信にこの「聲ノ奉納」の事を書いてくれた事を瞬時に思い出した。
M氏の話は未だ続いた。
田中さんは、イヴ・ダナにも逢っているんですね、と思いがけない事を言う。
これはすっかり忘れていた。どうして?
実は田中保子さんの弟さんから、本が届きましてね。
『詩人の言魂』(2005年9月30日発行)と言って、弟さんが、保子さんの遺稿集を出されたんですよ。
天童さんの処に届いていませんか?
 その対馬の旅や、イヴ・ダナの事の文章が掲載されているんですよ。
もし、お読みになりたのならお送りしますよ、との親切なお言葉に甘えて、早速、送ってもらった。

 其処には、ジャンケンの強い藤堂和子編集長の「中州通信」(福岡)に掲載された文章が確かに掲載されていた。
 しかし、田中保子がイブ・ダナに関して文章を残している事は知らなかった。
何時、何処に発表したものだろうか。あの浦安でのイヴ・ダナの講演会にも来ていたとは!
当時の記憶が蘇ってきた。
 しかし、彼女が亡くなった事さえ私は知らず、某新聞の学芸部長から知らされて知ったぐらいに、晩年は疎遠に為っていた。


 2004年2月4日未明、59歳10ヵ月余りの生涯は、直腸ガンの為、閉じられた。

今では短い生涯だったと言えるだろう。惜しまれる死だ。

 遅ればせながら、心からご冥福をお祈りいたします。


                    天童 大人

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2005/10/11

掘り出し物!余りにも廉価な吉岡実全詩集 を見つけて驚いた。

安いにもほどがある!吉岡実全詩集(筑摩書房)。
 
 持っている本を処分する時、段階が在ると言う話を、古書店の主人から聞いたのは45年程前の事。
詩集は最後の最後に処分される本だとか。とすれば誰がこの詩集を手放したのだろうか?
ひょとして書物の価値の知らない人間が持っていて、書物の価値を認めない本屋に売ったと言う事なのか?

 吉岡実全詩集を購うような人間が、こんな処分の仕方をするだろうか。

我が目を疑ったこの書物は刊行当時(1966年3月25日 初版第一刷発行)、定価12000円を10000円で古書店で買った覚えがあるだけに、9月30日、近くに在るBOOK OFF の棚で、105円の値札が付いている吉岡実全詩集を見つけて、驚き、唖然とし何度値札を見直したことか。(直ぐ近くにある斉藤史全歌集には5000円の値札が付いている。)
そして我が目を疑った。驚きを通り越して、愕然とした。悲しいと同時に嬉しくて早速、買って帰った。
 帰宅して、日本の古本屋、で検索すると1件あり、20000円の値が付いている。
本は安くなれば良いと言う物では無いだろう。その書物が自ずから持っている価値というものが在る筈だ。
その価値を無視してただ単に定価の半額、そしてある期間を経て、105円。この吉岡実全詩集のような価値在る書物を、均一な価格に貶める。其処に何か大きな意図が隠されているような気がして為らないのだが、如何なものか?

この本は確か、同じ詩篇がニ篇有り?、刷り直して刊行された、と記憶している。

もし、吉岡さんが生きていたら、何と言うだろうか。こんな日本の現状、書物の世界のを。

ねえ、吉岡さん。
壽岳先生にもお尋ねしてみたいものだ。

生前の吉岡実さんから詩集を1冊頂いた事が有る。
書肆山田の社主 鈴木一民氏から、吉岡さんが、北海道で詩人たちが大変、お世話に為っているから、天童に渡してくれと言って、天童大人様 吉岡実 と墨色鮮やかな署名入りの『ムーンドロップ』を頂いた。吉岡さんの墨の字を見るのは、初めてだった。
吉岡さんは、素敵な指環をしていた。ある画廊でお訊ねしたら、古い遺物のような事を言われた記憶がある。
今、あの指環は何処に在るのだろうか?

刊行されたこの書物は10年後、何方の手を経て来たのか分からぬが、綺麗な状態で間違いなく詩人の手に届いた。

 今、この大冊の詩集を少しずつ読み始めている。

 間違い無く、これは掘り出し物だ。!!!!!

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2005/10/01

21世紀の丸田小学校、校歌を作詞する。

  <お早う!>と挨拶できる子供を育てる為に。

  詩人で有るならば、生涯に校歌を1つぐらい、作詞してみたいと考えても可笑しくは無いだろう。
 私は考え、念じ続けていると、物事はいつしか実現する事を知っている。
 私が知る術も無いが、2002年4月、愛知県春日井市に、21世紀の新しい小学校、市立丸田小学校が新設された。
 その新しい小学校の校歌を、何故、東京在住の私が、作詞する事に為るのか、不思議な事だ。

 或る日、 名古屋の友人のH・Y女史から、突然、電話が有り、先生!詩人なら校歌を作れますよね?
 と突然のお話。正直な話、しどろもどろに、はい、書けますよ、作れますよと答えた。

 この国では、詩人では<死人>で在って、全く役に立たない不用の人間と思われているらしい。
また現代の詩人は、ほとんどが”大学教授”の肩書きを付けていて、肩書きの無い”詩人”を捜すのはとても難しいと言っても間違いではない。(本来、詩人、は詩人だけで充分のの筈だが)。
まずこの国では、詩人は尊敬もされていなければ、認知されても居ないのではないかと思うふしが多々ある。

 1997年、コロンビアの第7回メデジン国際詩祭に招待され、国際交流基金の助成を受けて、参加してみて、驚いた。手伝っている学生たちが、マエストロ!マエストロ!と私を呼ぶので、まず私が驚いた。
 次に彼らが驚いたのは、詩人、がエコノミークラスで遣って来た事だ。
 詩人、を尊敬しているコロンビアの若者たちは、金持ちだと標榜している日本の欺瞞性をこれだけで、鋭く見抜いたのだった。

 日本は、かってノーベル文学賞を作家ではなく、詩人が、例えば、西脇順三郎氏が受賞していたら、詩人の地位の向上をも含め、日本文学界の景色も多少は変わった事に為っていただろうに、誠に惜しまれる事だ。

 話が逸れてしまった。

 丸田小学校の校長・木俣哲夫校長から、生徒たちが校歌の歌詞に是非入れて欲しい言葉を既に選んであるので、使って作詞する事が、唯一の条件だとの指示があった。
 届いた資料から、21世紀に相応しい校歌、とは、何か、を熟考した。

 今更、使い慣れた言葉を使いたくない。
 挨拶もろくに出来ない、大人も居るこのご時世だ。だから子供が居るのは当然のことか。
 朝起きて、お早う、さえ言えない子供たち。それが当たり前の世の中なのか。

 子供の時から、大きな聲で”お早う”と言えるように、頭の中に刷り込んでおこう。そをすれば丸田小学校で学んだ子供たちは、瞬間的に、”お早う”と言える人に為っているだろう。今では、挨拶がキチンと出来る事も大切な事に為ったご時世だ。
 
 では、下記に在るのが、私が作詞した市立丸田小学校 校歌です。


     春日井市立丸田小学校 校歌

                  作詞 天童 大人
                  作曲 寺井 尚行


  おはよう と 大きな声のひと言は
  魂のふれ合う 心のエネルギー
  友だち たくさん つくり
  明るく 楽しく通う
  みんなの
  丸田小学校

  光 いっぱいの輝く校舎から
  未来への希望をもらい
  元気で やさしく 思いやりある
  2002年に生まれた
  みんなの
  丸田小学校
 
  私たちの築く大きな夢
  はげまし 助け合って学んだ
  世界の人と人を結ぶネットワーク
  決して忘れないんだ 
  みんなの
  丸田小学校


  丸田小学校のURLは下記の通りです。
  http://www.kasugai.ed.jp/maruta-e/
  トップページに校歌があり、クリックすると歌詞が出てきます。

 作詞をする機会を与えてくださった関係者の皆さん、本当に有難う御座いました。
この校歌を歌って学んだ小学生たちが、大人に為って、”お早う!”と気軽に言える人に為っていてくれ、こんな嬉しい事は在りません。又何時か、何処かで、”お早う”を大きな声で言える丸田小学校の生徒さんたちに再会する日が来る事を、願っております。どうかお元気で、勉学に励んでください。

 又機会が在りましたら、校歌を作詞してみたいものです。
 

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