「大神 キッキ・マニトゥ 」のこと。
2006年1月1日から今世に姿を現し、
惹起する大神 キッキ・マニトゥとは?
我が国に初めて大神 キッキ・マニトゥが姿を現したのは、1931年(昭和6年)、アーレニウス著『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳、岩波文庫)にてである。
「世界が一人の人間或は動物の肢體から創造されたとする緒神話は最も多様な野蛮人もこの世界の起源に関する伝説中に見出されるのである。時には宇宙創造者は、例えばウィンネバゴ印度人8Winnebago-Indianer)の『キッキ・マニトゥ(Kitschi Manitou)』(偉大なる精霊)のように、自分の肢體の一部と一塊の土壌とから最初の人間を造り上げた。」(訳文のママ、 この印度人は誤訳であろう。)
この本の事を私に教えてくださったのは、今は亡き神戸の詩人、藤村 壮さんだ。
既にこの国に聲も無く、姿を現してから、71年の歳月が流れている。
「すなわち大神で、生命の父であり、他者によって創られたものではない。彼はあらゆる善の根源であって、インディアンたちが「和平のきせる」(北米土人が儀式などの時に、特に平和のしるしに吸う長いきせる)を吸うのも彼の名誉のためである。」と。”『新大陸の神話』 M・フォーコンネ、G・H・リッケ 辻 哲也訳 みすず・ぶっくす刊 (昭和34年11月10日第1刷発行)より。”と
かって同人詩誌「ハリー」第13号(1988年7月1日刊行)に引用して書いた。
しかし、大事な事は,この時、敢えて書き記さなかった。
『新大陸の神話』には、今、読み返して見ても、私にとって大事なことが書き記されているのだ。
「アルゴンクィン族はマニトゥと呼び、これによって、最も初歩のものから、最も高等なものまでを含めた全ての呪術的能力、あるいは医療の術を指している。人は下等な精たちを思う通りに駆使しなければならないが、強力なマニトゥたちは賢い精であるから、反対にどんなことをしてでも、ごきげんをとっておかねばならない。」
(中略) ここからが特に大事な事だ。
「大神はあらゆる精霊の上位にあり、天に住んでいる。
かれは光の主で、太陽によって現わされる。
彼は生命の息吹きであり、風の姿をとっていたるところに入りこむ。」
これだ 大神 キッキ・マニトウ の正体は。
これではこの世界を牛耳りたい闇の世界の連中が、アメリカを中心にして、大神 キッキ・マニトウを封印して置きたかった訳が良く分かる。
同人詩誌「ハリー」は1986年7月1日に18人の詩人たちに依って創刊、隔月刊行で、刊行され、1990年6月1日最終刊の第24号が刊行された。(何故か、同人のうち二人の詩人が自殺している)。
その創刊号から、即興朗唱詩「大神 キッキ・マニトゥ ⅩⅩⅩⅠ」は連載が始まり、1988年5月1日に刊行された第12号のⅩⅩⅩⅩⅡまで、「大神 キッキ・マニトゥ」は掲載された。
国内各地で行ってきた朗唱の旅で、行った即興朗唱で出来た作品は、1997年2月10日、世界で始めての即興朗唱詩集として、『大神 キッキ・マニトゥ』は北十字舎から限定970部で刊行され、装幀、吉野史門の造本と共に、世界各地で評価された。
さて、この大神 キッキ・マニトゥが突如、私の口から産まれ出たのは、忘れもしない1983年2月10日、北海道・帯広の「洗濯船」での「朗唱会 北の磁原に謳う」の会場だった。
それはその後、10年に亘って肉声の回復の為、北の厳寒期の北海道を巡る「北ノ朗唱」の原点であった。この日、帯広は吹雪だった。同日、日本経済新聞の文化欄にエセイ「北ノ朗唱」を発表していた。等と 以前書いたことを繰り返しても仕方が無い。
さて我が国、日本は陽いずる国、で、太陽信仰の国である。
この大神 キッキ・マニトウも太陽によって現される。共通項が余りにも有り過ぎる。
いよいよ2006年1月1日をもって、大神 キッキ・マニトウが惹起する。
キッキ・マニトゥ!!!
キッキ・マニトゥ!!!
キッキ・マニトゥ!!! と。
では、皆さん揃ってご唱和を!!!
大神 キッキ・マニトゥの惹起振りを、こう御期待!!!
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