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2005/04/02

カタロニアの聖地・モンセラにて聲ヲ発スル

    カタロニアの聖地・モンセラにて聲ヲ発スル


                天童 大人(詩人・朗唱家・字家)

 もしスペインに住みたいと考えれば、誰もが南スペインをすぐに想い浮べるであろう。
 しかし、私は一昨年(1989年)の十月に、初めてマドリー、バルセロナ、フィゲラスを訪れるまで、パレンシアから南へは一度も降りていかなかった。その理由は、今となっても正式には明かせないのだが、ともかく日本人には珍しい、北のピコ・デ・ヨーロッパ山脈の裾に住んでいた。アラブの侵略にも犯されず、日本人を見たことも無い真のスペイン人の人々の中でだ。ポーテスからビスカイヤ湾まで、二十数キロの距離を一生埋める事も無く、海を見たことも無い友人になったペペの妹に、「海」や「波」を説明する事がどんなに大変だったかを、今では懐かしく思い出す。ともあれ、何故か、何が原因なのか、1989年10月、スイス・ローザンヌに、若き天才彫刻家イヴ・ダナを訊ね、会談した後、ユーレルパスを用い、パリ、マドリー、バルセロナ、フィゲラス、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノ、パリと美術館と画廊巡りの旅に出た。マドリーには友人の画家堀越千秋が住んでいたし、ミラノには門司出身の画家KEIZOこと森下慶三が住んでいた。マドリーでは画家になろうとしているS・Y嬢や、フラメンコダンサーの修業に来ていたM・Y嬢や画家と共に、ビノを飲み歩いたものだ。一緒にタブラオに聴きに行ったカンテ・フラメンコがあまりにも下手だったために、自分でも聲を出したくなったが、マドリーではその気が全く起こらなかった。古代祭場跡や劇場跡、聖地と聞けば、必ずと言って良いほど、「聲ヲ発シ」てきた。だからモンセラがカタロニア地方の聖地と聞けば、聲を出してみようと思うのは、私としては当然の行為であった。
 
 ロープウエーを降り、ベネディックト派の大修道院を右手に見ながら、ゆっくりと小さな電車が昇り、降りた小屋の後ろから、道伝いに歩き始める。この奇岩群に登ろうとする岩登りのグループの男や女たちとすれ違いながら、歩いて行くと、もう何処にも人影は見なかった。
 この山中まで観光客は、来ないからだろう。自分の荒い息と風の音だけが聞こえてくる。
 1972年冬、スペイン山岳協会のメンバーになって、北スペインの山々を歩いた脚力は確実に衰えていた。でも歩きながら、聲を出したい場所に立つと、聲ヲ発スル。かって天皇の行幸の折、道の曲がり角や峠でも出す吠声(べんせい)と言う聲が在った事を思い出した。
 聲は出た。しかし、今なら聲は余り出ていなかったと言える。というのも昨年7月のザルツブルグでの不出世のソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの三週間のマスター・クラスを受講し、ガリーナ教授の教えてくれた通りを実践していると、全く喉が痛まなくなり、自由自在に聲が出るようになっている事を、今年になって行った朗唱会(1月27日での甲府)で確かめる事が出来たからだ。
 
 聖地であることを確認するには「聲」が重要であると私は考えている。だから様々な聖地で聲を発しているのだ。
 平地の中に突然、突起しているこの奇岩群にどのような力が宿っているのか。
 それはカタロニア文化の力のバロメーターでも在る筈だ。だから標高1236メートルのサン・ジェロニモ展望台に立つと、四方に向かってゆっくりと聲を出してみた。思っていた反応が自分の肉体に起こってきた。16年前、ピレネー山頂で、聲を出した時の感覚が蘇って来たのだ。全く忘れていただけに本当に嬉しかった。この修道院を訪れる観光客の誰もが見ると言う「黒いマリア像」を私は見ていない。しかし、私には全く悔いは無い。何故なら観光客ではないからだ。だから未だ南スペインは知らないと言えるだろう。カタロニアの聖地で、久し振りに自然の中に身を置く事が出来たのでほっとした。
 そして3年前、友人たちと共訳した『ロルカ・ダリ』(六興出版刊、現在、絶版)のダリの美術館のあるフィゲラスめざして出発したのだった。

月刊「中州通信」( 福岡、刊1991年3月号)に写真四葉と共に掲載。連載「内なる宇宙を求めて No 12」より。
追記 文中のフラメンコ・ダンサーの修業に来ていたM・Y嬢は、現在、活躍中の安田光江フラメンコ塾の塾長、安田光江女史のこと。その後、1999年秋、セヴィージャ近くのドスエルマノスに3週間滞在した。

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