« 2005年5月22日 - 2005年5月28日 | トップページ | 2005年6月5日 - 2005年6月11日 »

2005/06/01

砂澤ビッキ 死す

        彫刻家・砂澤ビッキ 死す
  

                        天童 大人
                        (詩人・字家)

 去る一月二十一日(1989年)からニ月五日まで、神奈川県民ホール・ギャラリーに於いて、上野憲男・砂澤ビッキ・吹田文明の三作家による「現代作家シリーズ’89」が行われた。
 その展覧会の(文字どうり遺作展となった)自分の会場を自らの手で飾り付けをするべく、命を賭けて彫刻家砂澤ビッキは札幌の入院先の病院から、付き添いの女医と共に二十日空路上京、陣頭指揮で作品を配置し、二十一日の初日には短い時間ながら会場に姿を現し、挨拶を行い、二十二日帰礼し、そして三日後の一月二十五日、札幌・愛育病院にて息を止めた。享年五十七歳。昨今、聞くこと久しい、苛烈な作家魂と言えるだろう。
 現代彫刻界の木の造形分野で、植木茂(一九八四年・七一歳で死去)と砂澤ビッキとが木の塊りから直彫りし、作品を造りだす数少ない彫刻家であったと思う。
 一九五○年、モダン・アート協会の創立会員であった植木茂が一九五四年に退会した翌年、砂澤ビッキがモダン・アート協会に出品し、一九五八年に新人賞を受賞、一九六○年に会友。ニ年後三十一歳で会員。そして一年後の一九六四年に退会。約三十年間、砂澤ビッキは創作活動を行った事に為る。
 今はやりの大学教師の肩書きを持ち、研究室で学生相手に木片を捏ね繰り回している軟な、決して樹木を担ぐことも出来ない貧相な肉体の似非彫刻家たちとは対極のグローブのような大きな肉厚の力強い手で、木を削るのを見るだけでも、自然と向かい合っている爽快感を覚える。
 自然の大地を熟知しない者が木を扱うなんて、樹木の精霊に歯向かうようなものだが、そんなことも全く意に解さない時代の風潮であろうか。
 しかし、砂澤ビッキには、確実に、彼独自の(アイヌ民族特有の?)樹木信仰を内に持っていた。
 「日本人の持つ自然観には非常にまやかしが在ると思う。」と言い切る事が出来たこの彫刻家は、「自然の中に芸術があって、芸術の中に自然が在る」と言う制作姿勢を、崩す事無く維持しながら仕事を続けていた。
 札幌・芸術の森・野外美術館に在る作品「四つの風」(一九八六年作)は砂澤ビッキの作品のなかで最も大きく、代表的な作品となるであろう。幌延町の問寒別にある北大演習林に樹齢七百年余りの七メートル五十の赤エゾ松四本で制作された。地上五・五メートル、地下に一・五メートル埋めて在るという。この作品を謳った詩作品(砂澤ビッキには詩集『青い砂丘にて』一九七六年・ビッキ・アーツ刊も在る)が会場に展示された。
 
 「風よ お前は四頭四脚の 獣 お前は凶暴だけに 人間たちは お前の 中間のひとときを愛する。 それを四季という。願わくば俺に 最も 激しい風を全身に そして眼にふきつけてくれ、風よ お前は 四頭四脚なのだから 四脚の素敵な ズボンを贈りたいと思っている。 そうして 俺を一度抱いて くれぬか。 一九八八年秋 ビッキ」

この「四つの風」のことが最近出版された『イーグル・ウーマン』(リン・アンドルウーズ著)に、カナダ在住のメデシン・ウーメンことアグヌスの口から発せられたので驚いた。もしかしたら、ビッキがカナダ滞在中に、メデシン・マンに出会ったか、或はアイヌ民族の秘めた伝承にあるか、興味が湧いてきた。
 砂澤ビッキが亡くなった事によって、日本の直彫りの伝統が絶えるのだろうか、会場のここ数年間の作品群を見ながら考えてしまう。
 現在の彫刻家たちには、樹木に対するビッキほどの造詣の深さも感じられない。彼の作品は樹木の持つ力を見事に導き出していた。これは天性の素質なのかも知れない。彼の残した作品について語るには、樹齢ほどの時間のスタンスが必要なのだ。何も性急になる必要は無い。
 ビッキにもし関心があれば、すぐ札幌に飛んであの「四つの風」を見に行く事だ。 
 そんな熱情も無い者が、やたらに言葉を巧みに操ってみても、何も産まれては来ない。
 写真家野堀成美氏からの私信に、「心の中に生かし得る人の中にのみ、死せる人は命を永らえるのでしょう。」と記されてあった。
 砂澤ビッキが成し遂げられなかった仕事を、何処の誰が引き継いで行くのか、楽しみな事だ。


      月刊 「いけ花龍生」(1989年6月号 写真4葉と共に掲載)より、訂正・補筆。                  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年5月22日 - 2005年5月28日 | トップページ | 2005年6月5日 - 2005年6月11日 »