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2005/06/07

森 茉莉さんのこと。

     作家 森 茉莉さんの初代サポーターが私?


                        天童 大人

 去る5月下旬、森茉莉文学館の白川宗道館長から突然、電話が有り、<森茉莉忌>は6月6日なのだが、今年は、来る6月11日正午過ぎから下北沢の、茉莉さん縁の店、邪宗門 (℡03-3410-7858)で、<森茉莉忌>を開催する、ので森茉莉さんの初代サポーターとして、何か話してもらいたい、との電話を受けた。
 追って6月2日、メールが届き、初代茉莉さんサポーター天童氏×萩原葉子先生にもインフォームしてあると記されてある。
 日時:6月11日(12時)下北沢駅:メイン改札口近く、2階になったところ。(時間厳守)。参加申し込み&仔細は白川宗道携帯(090-9975-7855) 参加費3000円。関心の或る方は是非、白川氏に連絡し、ご参加下さい。


 かってある会合で詩人の白石かずこさんと一緒に居た白川氏と立ち話で、彼が森茉莉さんのところに出入りしていた事を知り、時期を確かめたところ、どうも私がヨーロッパに出発した1972年8月以降と言う事が分かった。

 私が森茉莉さんの処に、臆することなく、突然、電話をし、連れ出す為に、お住まいの倉運荘を訪れたのは、1971年、(月日は分からないが、うす寒かった記憶がある。) 裸電球の下、爪をガーゼで、廊下に在った洗面所で洗い、磨く間、戸を開けられたままの部屋の前で、立ち尽くしていた。ふと足元に眼をやると蜜柑箱の中に埃にまみれた本が積み重なって在り、一番上の埃が積もっている本を手に取り、開いてみると吉行淳之介さんの茉莉さん宛への署名入り、献呈本だった。もっと本は積み重ねて在るのだが裸電球の薄明かりの下で、無断で人の本を見ている余裕は無かった。右手にガーゼを持った茉莉さんが戻って来た。茉莉さんが部屋に入り、暫らく経つとこれを持って頂戴と渡された。新聞紙に包まれた瓶で、喘息の煎じ薬が入って居るからと、少女のような声で言われたので、タクシーに乗っても、生暖かい瓶を、私は両腕に抱えたままで居た。
 タクシーの中で何を話したか、もう覚えていない。茉莉さんの作品はほとんど読んでいて、最初の本で、翻訳本の、『マドモアゼル・ルウルウ』、も持っている、と言うと、驚いた表情で、貴方で二人目、と言って、聞いた事のある人の名前を言われたが、それが誰だったのか思い出せない。その後、その希觀本『マドモアゼル・ルウルウ』は、高名なフランス文学者に、お貸ししたままになっている。

 タクシーが広尾の屋敷の玄関の前に着き、数段の石段を片手に薬瓶、片手で茉莉さんを抱えるようにして上り、玄関を開けた。
 目ざとく、茉莉さんを見つけた客人たちが聲を上げた。あっという間に居間の深い椅子に座った茉莉さんの周りを客人たちが囲んだ。岡田真澄、芳村真理、露木茂(現フジテレビアナウンサー部長)氏等が、フランス人の問いに答えている茉莉さんの話を聞いている。遠くに島津貴子夫妻の顔も在った。

 毎月、自宅でパーティーは開かれていたが、今回は特にフランス人が大勢集まるパーティーを開くので、誰か特別ゲストに相応しい人は居ないかと、私が手伝って居たギャラリーの社長のF氏が社員に尋ねるので、私が、未知の作家で、作品をほとんど読んでいた森茉莉さんの名前を何気なく思いつくままに出した。結果、私の提案が採用された。(と言う事は、私はこの時、広尾に在ったギャラリーSを手伝って居た訳だ。)提案した私が交渉役を全て任された。

 パーティーは幻の作家・森茉莉を中心にして動き始めていた。
当然、フランス人はフランス語で話しかける。茉莉さんも最初は拙いながらもフランス語で答える。そんな時間が少し続くと茉莉さんの話すフランス語がどんどん流暢に為っていくことが傍に居て判る。
かって茉莉さんはパリに住んでいたから、色々な場所や店の事、路上の娼婦等をフランス人相手に確かめている。その頃、私はヨーロッパに行く前だから、茉莉さんの話は、はっきり道筋が見えてこなかった。(今なら、良く分かるのだが。)それにしても招待された数多くのフランス人たちは、この老婦人がfemme de letters(女性文学者)で、高名な文学者森鴎外の娘だと言う事に、深い関心を持った様だ。

 後日、茉莉さんは横浜から刊行されていたリトル・マガジンに、エセイとして私のこととこのパーティーの事を書き記してくれた。(残念ながら、何処から、何時、刊行された雑誌か不明なのだ。).

私が茉莉さんに、三島由紀夫の自裁する2週間前の1970年11月11日、彼の自宅で、会見した時、三島由紀夫の驚愕の表情の事を、話したのは、何回かお逢いしてからの事だった。
 その時の事を、その後出会った評論家・福田恆存、作家・藤島泰輔、作家・坂上弘氏等に尋ねてみた事もお話した。岡田真澄氏に紹介された福田氏は「貴方はホモですか?」。「いいえ、違います」。「それは可笑しいですね」と笑いながら言われた。藤島氏は「そんな事は、絶対に有り得ない。彼が青ざめるなんて」。坂上氏は「蓮田善明氏と見間違ったのではありませんか」と。
 「それはとても大事な事だから、書き残して置きなさい。」と茉莉さんは静かに言った。
 この時は、貴方に白身のお寿司を御馳走してなかったわね、と言って、住まい近くの行きつけの寿し屋に入り、すっと座敷に上がり、座るとすぐ話し始めた。そして飯台の上に白身の平目が三巻か五巻、置かれたのを前にしての三島に関しての会話だった。

 こうなったら茉莉さんの活字になった作品を、全て探し出して読んでみよう。特に文藝雑誌、「文藝」に発表した原稿用紙110枚位の作品は、茉莉さんの手元にも無く、茉莉さんも困っているので、彼女から題名を聞いて、(もう今では題名も忘れてしまったが)是非、探し出して茉莉さんに、渡してあげようと思った。
 全国の古書店で雑誌、「文藝」を探す事に、一時期専念した。
 『甘い蜜の部屋』にはどうしても欠かせない作品だと言う。新潮社のK編集者も見付からないと言っていると言う。このKと言う編集者が真剣に探しているとは、とても私には思えなかった。それからどれ位の日時が経ったであろうか、遂に、都内の或る古書店のうず高く積まれた雑誌の山から、作品が掲載されている「文藝」を探し出した。
読み始めて、この作品で限定版の本を造りたいと思わせるほど、気に入った。
 早速、茉莉さんに、雑誌が、見付かった事、読んで作品が気に入ったので、限定版の本にしたいと打ち明けた。茉莉さんは、貴方が気に入ったのなら、貴方なら限定本を造っても良いわ、と言って承諾してくれた。

 こうして書き継いで行きながら、時間のずれがどうも上手く合わないのだ。
 記憶などあやふやなものだと痛感する。
 三島由紀夫が亡くなったのが、忘れもしない1970年11月25日、私が初めてヨーロッパに向けて密かに旅立ったのは1972年8月。詩人の吉田一穂に、詩人・小山一郎氏の仲立ちで会ったのが1972年3月。一穂と会って、話をしながら森茉莉の事を考えていたのをはっきり覚えている。その後に6月3日の詩人の鷲巣繁男氏の出版記念会に小山氏と共に出席している。茉莉さんとはどの位、会い話したのだろうか?1974年4月1日に帰国した後、スペインのサンタンデールに住む一年後輩のYが帰国した時、邪宗門で茉莉さんに紹介している事を思い出した。とすれば1976年秋に、二度目のヨーロッパへ行く迄、茉莉さんと交流が在った事になる。

森茉莉さんに言われて、三島由紀夫との会見の時の事を、詩作品にしたのは、1981年3月、詩誌「北十字」6号に、詩作品「感喜」として発表、その後、第一詩集『玄象の世界』(永井出版企画刊、1981年、1982年再版)の中に、詩作品「ⅩⅩⅢ」として収録した。今、読んでも、あの日の昼下がり、三島邸の居間での、三島由紀夫の姿を垣間見る事が出来るであろう。
 しかし、残念ながら文章として、発表の機会は未だ与えられては居ない。未だ書くべき時では、ないのかも知れない。
 
 森茉莉のイノサンスとは何だろうか?茉莉さんと話していると、かって哲学者 土井虎賀壽教授と話していた時と同じような得がたい感じがしていた。
 ダリが若いとき、魚屋に入って、文房具を買おうとして、欲しいものが無くて激怒した逸話を何故か訳した事から思い出す。(『ロルカ・ダリ』(アントニーナ・ドロリゴ著 山内政子・天童匡史・小島素子訳 六興出版刊、1986年)。
 蒼運荘から代沢ハウスに移転したのが1973年、私は日本に居なかったから、何故かは、何も知らない。
1974年4月、ヨーロッパから帰国後に、茉莉さんに会ったとはっきり言えるのは、文化学院の1年後輩で、スペインの・サンタンデールに住んで居る山内政子が帰国した時、下北沢の邪宗門で、茉莉さんを紹介したからだ。
 その後、茉莉さんとの交流が如何なつたか、はっきり覚えては居ない。9月から丹波山中で、しころ屋根の修復に従事したからだ。山中で竹を切ったり、木刀で石を切ったりしていた日々を送っていたからだ。
 文学の世界とはかけ離れた肉体を自然に鍛える事を行っていた。最初、20キロの細い丸太を右肩に乗せても僅かしか歩けなかったが、半年後100キロの丸太を右肩に乗せて、山から歩いて麓まで下りてこれるように、私の右肩は為っていた。それは後に、字家として字作品を書くときに、追従を許さぬ筆力の強さとなって、活かされている。 

これは去る6月11日に開催された<森茉莉忌>で、白川館長から依頼された森茉莉さんとの事を話す為に、思い出しながら毎日、書き続けてきたものです。

 白川館長、ご苦労様でした。また森茉莉さんの文章をまた読み直してみたくなりました。有難う
 森茉莉に関心の在る若い人が増えてきている事は心強いですね。昨今のパソコンで打つたものと手書きの文章の違いを感じる事の出来る人、<個>が在るものを捜している、<個>がある人が増えていると言う事でしょうか、ね。良い傾向ですね。(6月12日記す)
 作品が読みたくなって、『森茉莉全集 全8巻』を捜したら、結構、古書店では良い値段なので驚いた。8冊の内、絶版本が2冊有るらしい事が調べてみて分かった。2003年には復刻版も出たが、すぐ完売したらしい。そこでyahooのオークションで検索したら、1組有り、入札したら、上手い具合に落札出来た。万歳!届いたら、一気に読破するぞ。(13日夜、記す。)

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