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2005/07/04

マルキ・ド・サド侯爵末孫の来日

         サド侯爵末孫の来日

                            天童 大人


 去る六月下旬(1991年)、初めて来日したひとりの若いフランス人を囲んで、銀座で小さな集まりがあった。
 「サディズム(加虐的淫乱=いんらん=症)」の生みの親、サド侯爵直系子孫の六代目、ティボー・ド・サドである。友人であるN洋酒大手メーカーのK氏から、日本でサド侯爵に関心のある人々を招いて、懇談する機会を持ちたい旨、協力を依頼され、手伝った関係から場違いとは思ったが、写真を存分に撮れるということなので出席した。
 当日は早めに会場の銀座・マキシムに到着した私は、早速K氏から今年三十四歳になるティボー・ド・サド氏と、シャンパン「マルキ・ド・サド」を商品化したM・クララン氏を紹介された。私が詩人で朗唱家・字家と告げると、日本の書に強い関心を持っていることが分かった。次から次へと招待客が訪れ始めたので、話を終え、撮影の準備を始めた。
 この集まりには日本でのサド文学紹介の第一人者であった故澁澤龍彦氏の夫人龍子さんをはじめとし、詩人の高橋睦郎、心理学者の岸田秀、インド哲学者の松山俊太郎、画家の金子國義、評論家の四方田犬彦、占星術研究家の山内雅夫氏ら、多士多才な顔ぶれが揃った。
 ティボー・ド・サド氏のスピーチもユーモアを含み持って始まった。先ず彼が日本に来て驚いたのは、日本もフランスも「家」を重要視していて長い家系が続いている事だ、と語る。
 「サド家はヨーロッパで最も古い家の一つです。千年ほど前にさかのぼると、その頃、フランスでは‘姓‘と言うものはほとんど存在せず、氏名だけが通用していました。サドの家は沢山の貴族の家と血縁関係にあります。それらを総合するとパリからエルサレム、ベルリンからサンクト・ペテルベルグまでを支配していたことになります。サド家が家の名前を初めて名乗った時、それはSADEではなく、SADOでありました。これは古いフランス語では『甘美』、『美しい』、『上品』と言う意味です」。
 サド家の出身者のなかには、外交官、大司教、女海賊、王室文化人、下院議員、元帥などがいた。
 「十八世紀、フランス革命の時にひとりの子供が生まれた。最もミステリアスで、教養に満ち溢れ、最も繊細な神経を持ち、最も過激で、最も有名な、そして最も悪名高きドナシャン・アルフォンス・フランソワ・マルキ・ド・サドです。彼は書物のなかで、人生で最も重要なものはシャンパンであると言っております。シャンパンは贅沢の極致、洗練、強さ、軽さ、喜びの噴火、感覚と思想を常に刺激し続けるものなのです。そしてまた彼は教育についていろいろ考えた人ですが、特に”教えるということ”、”哲学というもの”を良く研究した人でした。『若い娘に教育をほどこすには、シャンペンに勝る物は無い』と彼は言っています。」と今回の彼の目的をさりげなく言った。
 二十年前、自分の城の中でサド侯爵の蔵書を発見、関心を持ち、大学の卒業論文のテーマも「政治システムのマルキ・ド・サドに対する解釈」とした六代目の独特の顔を見ていると、一九六一年に澁澤龍彦訳の『悪徳の栄え』が、「ワイセツ文書販売、同所持罪」で起訴され、「サド裁判」があったことが思い出されてくる。最近のヘア論争も含め、この三十年間で、この国の「ワイセツ」感は、どのように変化したのか、「個」を持ち得ない国民だけに、今、一度振り返って考える必要があるのではないだろうか。
 会が終わっても集まった人々はすぐには帰らなかった。K氏らとお茶を飲んでいると六代目がやってきて、自分の名前を日本の漢字で書いて貰いたいと言ってきた。
 さてどんな文字で書きあげようか。「ティボー・ド・サド」と。

                          (詩人・朗唱家。字家)


                       ▽てんどう・たいじん氏は
                      一九四三年(昭和十八年)小
                      樽市生まれ。文化学院卒。
                      詩集に『玄象の世界』、共
                      訳書に『ロルカ・ダリ』、ビ
                      デオ字。聲集に「即興朗唱
                       大神・キッキマニトウの世
                      界」など。


 追伸:山形新聞(1991年7月18日号)に写真一葉と共に掲載。
この文章は時事通信社配信の為、他に数紙に掲載された記憶があるが、確かな事は不明。
 
 写真週刊誌「FOCUS」平成3年7月12号に、ーシャンペンを売り込みに来た「サド侯爵」の末裔ー直系6代目の”四つの顔”- に、PHOTO 天童大人と記載され、掲載された。

 1992年、写真家として写真週刊誌「FOCUS」の準レギュラーで、95年まで撮影に従事した。

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