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2005/01/20

イタリア・ヴェローナ、アレーナに 聲を刻む

      イタリア詩人・ロベルト・サネージに捧げる。

                 詩人・朗唱家・字家  天童 大人
「ヴェローナで、何かして貰いたい事がありますか」と、初対面のヴェローナ文学者協会秘書、グロリア・リヴォルタ女史に言われたのは昨年十一月(2001年)、ミラノ在住の友人の画家KEIZO(森下慶三)の家でのことだ。
今年三月二十一日に、ヴェローナの文学者協会が開催するシンポジウム「オマージュ・ロベルト・サネージ」で、「聲」を贈ることを頼まれたので、私は承諾した。そして、希望として私は「アレーナ(野外劇場)で、聲を出してみたい」と。
生前、一度しか会えなかったロベルト・サネージは昨年一月、肺がんの為、七十一歳で亡くなったが、絵も描く、ノーベル賞候補にもなったイタリアでは著名な詩人だ。私は彼に、恩義があった。
五年前、彼が命名発案し、第一巻を飾った限定・版画本『TERZINA』叢書。イタリアで有名な画家、エンリコ・バイ、ヴァレリオ・アダミ、KEIZO、ブルーノ・ムナリー等に並んで、私の字作品「黄道日」が収められ、イタリアからデビュー出来たのも、サネージとKEIZOとの友情の賜物だった。
帰国した翌日、KEIZOから連絡が入り、「グロリアが、アレーナで出来そうだと言っている」と伝えて来た。
私は半信半疑だった。今まで、日本のオペラ歌手を含め、単独公演は誰一人として行われていない筈だからだ。
二月四日、ヴェローナ市の美術館、記念物部門から、「使用許可証が下りたので、好きな時間だけ、アレーナを使っていい。至急、世界に向けて発信するメッセージを送って欲しい」と彼女から連絡があった。
そこで「ーこの美しい水の惑星へ、聲の贈り物ー」を書き、友人のウェストポイント・ファインアート・オフィスの協力で、翻訳をヴェローナに送った。「春分の日、正午(日本時間夜八時)から、ヴェローナのアレーナで、肉聲を刻み始めるので、このメッセージを受け取った人は、同時刻に聲を出してください。聲と聲とを繋いで、この美しい水の惑星に、聲の贈り物を」と、呼びかけた。
見知らぬ永六輔氏が、御自分のDJ番組で、この試みを紹介してくれたことを、後日、友人から教えられた。
三月十九日、アレーナ脇にあるヴェローナ文学者協会に行き、四ヶ月ぶりに、グロリアに会った後、早速、ひとりでアレーナに入った。初めて見た野外劇場を「小さい」と感じた。
一九九0年から毎年、五月か六月の新月の日、「聲ノ奉納」を続けてきた対馬・和多都美神社、海中の一の鳥居の「場」の空間と瞬時に比較したからだ。
アレーナは夏のオペラの舞台設営中だった。翌日、聲を出しながら、グロリアと二人で選んだ場は、かって皇帝が立った場所だった。
当日、青天の中、準備を始めると、少しずつ、人が集まり始めた。テレビカメラが三台、雑誌のインタビューは、ミラノから駆けつけてくれたKEIZOに委ね、正午、アレーナの中心めがけ、聲を刻み出した。聲が風に乗り、劇場に反響しているのが、はっきり分かった。そして思いっ切りの、四十五分間。
 日本人で初めて行われたアレーナでの単独公演は無事に終わった。そして午後四時半、ヴェローナ文学者協会で開催されたシンポジウム「オマージュ・ロベルト・サネージ」は、サネージ未亡人や子息、ローマからやってきた詩人たち。そして約百人余りの聴衆の前で、グロリア女史の司会に促され、私はロベルト・サネージの見えない力に感謝を込めて、聲を出した。
協会の窓硝子が、震える音を聞きながら。
  
                        (てんどお たいじん)


          公明新聞(2002年5月17日号)に掲載。

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2005/01/19

イタリア・ヴェローナ・アレーナでの単独公演公式メッセージ。

    ーこの美しい水ノ惑星へ、聲の贈り物ー 

                     主催:ヴェローナ文芸家協会


           UNIVERSAL VOICE

                    天童 大人

来る3月21日、春分の日、太陽と光りとが天頂にある刻、正午、ここ
イタリア・ヴェローナのアレーナ(野外劇場)から、この素晴しい、愛
しい水ノ惑星に向かって聲を発シます。肉聲を打ち、刻み始めます。
 もし、このメッセージが届いたら、この刻、この惑星のどこに居て
も、正午(イタリア時間)から、耳を澄ませ、そして貴方自身も聲を
出してみて下さい。
我々が知らされているところの歴史、約2000年前、このアレーナが
出来上がる頃、ギリシアに於いて、人の聲が届く範囲が、その人の
力の及ぶ場となっていたことを想い出して下さい。国の力でも、物
質の力でもありません。個人の持っている内に秘めた力です。
 聲は(こころ)のエネルギーです。聲は自分の(こころ)を具現化し
たものです。聲は整形出来ません。誰もが自分自身の聲を取り戻
し、聲を出してみて下さい。国籍、人種、宗教、性別を超えて、あら
ゆる束縛から自分を解き放って、ほんの少し、この我々の住んでい
る美しい水ノ惑星に、聲の贈り物をしてくれませんか。
ひとり、ひとりの聲が、この惑星の秘めた力です。
2002年3月21日12:00(イタリア時間)から、どうか、ひとりの人間
の持つ力を信じて、聲を出してみて下さい。(日本時間では3月21
日午後8時)

聲ノ力が世界を繋ぐことを願って。

また、この日、この催事の機会を与えてくれた、今は亡き友人でイ
タリアの詩人、ロベルト・サネージを偲ぶ会がヴェローナの文藝家
協会で行われます。
もしこの刻、イタリアにいらっしゃるようでしたら、是非、ヴェローナ
のアレーナ(野外劇場)においで下さい。お待ちしております。

    2002年2月16日 東京にて。


このメッセージはヴェローナ文藝家協会から、イタリア語、英語に
翻訳されて、世界に向けて発信された。

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エズラ・パウンドの墓

  エズラ・パウンドの墓

         天童 大人

 ある時期の私の枕頭の書に、一冊の写真集を選んだことがある。
「エ・ズ・ラ・パ・ン・ド」と口遊みながらRIZZORI社刊の「EZRA POUND IN ITALY-FROM THE PISAN CANTOS」を繙く。それがどれほど激しかったかは、一昨年の九月下旬、十二年振りにヨーロッパを訪れた時、初めてチューリッヒ空港の降り立ち、歩き出した瞬間、あの老詩人の姿が、私の脳裏を横切ったのだ。それはエズラ・パウンドが、発見し、二十三歳で戦死した天才彫刻家ゴオディエ=ジャレスカとの出会いのことが、私自身と重なりあったからだらう。
今、千葉県の新浦安にある国際教育学院で三月一日から行われているイヴ・ダナ展(祭日のみ休校・八月三十一日まで)、この三十一歳の若き彫刻家こそ、私が日本に居て、一冊の書物から発見した”天才”なのだ。この事件については、本誌の記憶力の良い読者なら、一九八九年十二月五日付のこの文化欄で、目に触れたことを記憶しているだろう。あれから十五ヶ月で展覧会を打てるまでに持っていった私と友人の熊谷雅明氏との熱意は何処から湧きでたのであろうか。
これこそイヴ・ダナの作品が含み持ち得る真の力なのだ。
そんな作家がこの世の中に居たことが稀有なことなのだ。かって本紙の美術批評欄で、一九八五年一月から、一九八七年九月までの三十三ヶ月間、毎日のように銀座界隈の画廊を見て廻った。他紙の美術記者とも至る所で出会った。廻りながら私は絶対、自分の眼で”天才”を発見しょうと、密かに念じていた。かって詩人エズラ・パウンドが、若い天才彫刻家を発見したことを念頭に置いて、歩いていた時期もある。そして一瞬の僥倖が私に訪れた。
一九八九年六月八日、渋谷のT堂書店の見慣れた棚、『DANA』と白地に記された一冊の作品集、このことは、詩誌「HAPPENING」にも、詩作品「我、天才を発見セリー彫刻家イヴ・ダナへー」として発表しているので、もうこれ以上は記さない。
 一回目のイヴ・ダナとの会見を終えた後、私は、初めて、マドリード、バルセロナ、フィゲラス、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノ、パリと巡った。このヴェネチアに三日間滞在した時、やっとエズラ・パウンドの墓がサン・ミケーレ島に在る事を知り、訪れ、フィゲラスで購った、オレンジの一個を墓前に供えた。そしてパウンドへの御礼を込めた墓参りの記念に、今、私の人指し指に納まっている青金石の指環と出会い、買った。この時のことは、詩誌「ハリー」22号(一九九0年一月一日発行)に、詩作品「エズラ・パウンドの指環」となり発表した。一昨年に引き続き、昨年は、七月にザルツブルグで、ソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤのマスター・クラスを受講した後、またパウンドの墓参りをした。一年の間に、墓への指示標は新しく作り替えられていたが、「EZRA POUND」とのみ刻まれた墓石の周りには、静寂さが相変わらず、漂っていた。こうして二年続けて、何故か、感謝を込めて、詣っていることを確認した。しかし、詩人が一九七二年十一月一日に亡くなったことを、私は、トルコの帰途、立ち寄った一九七三年五月には残念ながら知らなかった。その時には、エズラ・パウンドの影は、私の何処にもなかった。やはり金関寿夫氏の『ナヴァホの砂絵』を読み、「ゴオディエ=ジャレスカとパウンド」の一文が、私を”天才発見”に駆り立てたのだ。
誰も知らないうちに、「イヴ・ダナは天才彫刻家だ!」と叫ぶのは誠に気持ちのいいものだ。昨今では死語と化した「天才」を臆面もなく乱発する。それはそうだろう。誰もがなし得なかった"天才発見”。自身を持って言い切り行動し、持続させる。そうすると”時代”が向うからすり寄ってくるのだ。
私が肉聲で行っている”即興朗唱”がそうだ。
最初はなあんだあれはと言っていたが、十年間、何を言われても続けてきてみれば、他に並び立つ者が居ない「聲の持ち主」となっている。ましてお金を払っても「肉聲を」聞くことが出来ない時代が訪れているだけに今後の展開がとても楽しみだ。ところで、誰かの本で、このパウンドの墓は、アメリカの女流彫刻家の作だと読んだ記憶があるので、今、手元に在るパウンド関係の本を拡げているのだが、捜す時には見つからない。
私の耳には、太いパウンドの自作詩を朗読する聲が聞こえてきている。こういった先達が居てくれて、とても助かる。
日本では身近に相談出来る明治時代の人々が居てくれることは本当に在り難いことだ。
ガリーナの時も相談に乗っていただいたのは、英文学者の寿岳文章先生、画家で「字」の仲間である村井正誠さん。村井さんの「写真機を持って行って、写真を撮っておいで、写真展が出来るから」のひと言で、カメラを買い、ガリーナの許可を貰って、一生懸命、精神を集中したら、本当に、「毎日グラフ」に発表出来、フォトグラファーになってしまった。「ダナ」のカタログの中の海外の写真は全て私の写真。
表現は感性。学校では教えても、学ぶ事も出来ないものなのだが、どうもこの国では、最も大切なことを置き忘れてしまっている。
日本人の天才を発見出来ないのは誠に残念だが、それもエズラ・パウンドのような巨人の詩人が居ないからではないか。かって詩人の吉増剛造氏が、「テ・ン・ド・オさんが日本のエ・ズ・ラ・パ・ウ・ン・ドに」と言った言葉が不意に耳の底から蘇ってきた。
どうしようか、パウンドさん?


     公明新聞(1991年4月24日)掲載より

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2005/01/17

新しい肉聲を求めてー第六回モーリス国際詩祭に招待されてー

第六回モーリス国際詩祭に招待されて

               天童 大人
アフリカでは政治的事情により、突然、催事がキャンセルされる事が、よくある話だと言われても、アジアの島国に住む者にとって情報が全く無い。だから九月中旬、開催予定の第六回アフリカ・モーリス国際詩祭への参加も、主催者のひとり、カメルーンの詩人ポール・ダケイヨウに・昨年から招待されていたが、慎重に考えていた。
しかし、昨年(2001)十月、第二回ポルトガル・アヴェイロ国際詩祭の主催者で、私を招待してくれた詩人ロサ・アリス・ブランコ女史から、もーりすでの再会を楽しみにとの連絡があり、彼女と緊密に連絡をとりつつ、十五日早朝、肌寒いモーリスのプレザンス空港に着いた。
出迎えの地元の若い詩人の案内でタクシーに四十分余り乗り、指定されたホテルでひと眠りして、野外にあるロビーに行くと、ポールもロサ・アリスも居た。他の二人の未知の女性はレユニオンから初参加のアニー・ダレクールとクレール・カァルムだった。遅れてコンゴ、モロニから詩人たちが参加すると言う。昼食後、ポールを中心に出発前に
送られていた過密なプログラムの検討に入った。
一日目の夕方、宿泊代と朝食代を負担している主催者所有のミニバスで、全員、アリアンセ・フランセーズに向かった。記者会見後、参加詩人が全員、詩を一編朗読。街に出て簡単な夕食後、地元の放送局「ラジオ・ワン」に向かい、詩祭の宣伝も兼ね、各自が再び詩を朗読。日本語をは初めて聞いたと言う女性ディレクターの要望で,
もう一編読み、ホテルに戻ったのは十一時半。
二日目、地元の新聞「エクスプレス」紙に、昨年六月に行われた第四回マダガスカル国際詩祭でのポールと私の写真が、今回の詩祭の紹介と共に掲載されていた。九時、モリース大学の詩の授業に、ポール、ロサ・アリス、私の三人がひと組となって参加、自作詩を読み(私の仏蘭西語訳はポールが朗読)、質疑応答に答え、二クラス、二時間、学生たちと交流。昼食は野外レストランで食べながらの朗読会。そして四時から六時まで、マリンホテル内にある廃墟で野外朗読会。夕食後、ディスコで朗読会、ホテルへは深夜十二時。
三日目は朝九時からクィン・エリザベス学院の講堂。中・高校生三百人余りの学生の前で朗読。質疑応答、そして学生たちの朗読と二時間余り、刻はあっという間に過ぎて行く。昼食はシャルル・ボードレールセンター。詩人ボードレールが若い頃、この島に立ち寄ったことがあると言う。夕方、街の中の書店の売り場で朗読会が始まった。
アニーが私の詩を読みたいと言う。読み始めた彼女の聲を聴いて驚いた。そこには探し求め続けていた「聲ノ力」、「聲ノ質」とが確実に在ったからだ。詩の意味を理解し、私の読む聲ノ力まで熟知していて、響きもいい。自分の翻訳詩の読み手を、それも女性の聲を、モーリスで発見できるとは、夢にも考えていなかった。私も一編読み、彼女にも読んで貰って、間違いなく確信に変わった。聴いていたロサ・アリスも、来年のチェニスで開催される国際詩祭に、アニーを推薦したいと言う。
私はもちろん大賛成だ。アニーも、来年、レユニオンで国際詩祭を。
決まったら、ポール、ロサ・アリス、テンドウを招待すると。「聲ノ力」が国境を、人種を、宗教を超えて、人と人とを結び付け、道を拓いて行くことを私は知っている。だから招待された国際詩祭には、出来る限り参加し、日本語を聲高らかに朗唱し、この水ノ惑星に、私は聲を刻み続けているのだ。

「夢の庭」(2003年1月)に掲載。

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