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2005/08/03

詩人 黄 瀛(こう えい) さんの会 について

   
   詩人 黄 瀛さんの死。
 
お詫び:このブログの下書きを始めたのは7月30日からで、公表したのが、8月3日午前7時。今日(8月5日夕方)、偶然、目にした朝日新聞・8月3日の、朝刊35面の死亡欄に、釘付けになった。

           黄     瀛さん(こう
         ・えい=中国の詩人)7月
         30日、中国重慶市内の病
         院で白血病で死去、98歳。
         父が中国人、母が日本
         人。日本に留学し詩作を
         学ぶ。国民党将校などを
         経て、四川外国語学院で
          日本文学などを教えた。

と掲載されているのを見つけたからだ。生憎、取っている毎日新聞には掲載されていなかった為、黄 瀛さんが亡くなった事は知りませんでした。

 遅ればせながら、謹んで、黄 瀛氏のご冥福をお祈りいたします。(8月5日、PM:21時記す)

 
  詩人 黄 瀛 さんの会のこと。

 見知らぬ人の文章から、既知の人の消息、特に、生きておられることを知る事は、望外の喜びである。
 最近、気に為っていた詩人の消息を新聞記事で読み、ご存命である事を知り、一気に二十一年前のことを思い出した。 それは朝日新聞・2005年7月18日、朝刊の7面、オピニオン欄の”時流持論”で王 敏と言う法政大学の教授が『 黄瀛ともう「一つの祖国」』を書いているのを読んだからだ。
 驚いた。詩人 黄 瀛さんが生きている。お幾つに為られたのだろうか。

 早速、文化学院の事務職にある中村悦子女史に、問い合わせてみた。 私が黄瀛さんに会った時の事を。
 そして数日後、お茶の水の文化学院を訪れ、中村女史から、当時の写真と新聞記事等を見せて頂き、文芸評論家野口富士男さんに送る筈だった写真が、不用との事で残っていて、私も写っている写真と新聞記事のコピーとを頂いてきた。
今、頂いた二枚の写真を見直すと、私が髭を伸ばしていた時代の事が色々と思い出されてくるが、それはまた別な機会に譲る事にする。

     黄 瀛さんの会
     1984年6月22日(金) 12時より。
     文化学院メモリアル ルーム

 この数日前、科長で評論家の戸川エマさんから、学院の先輩の詩人が来るから、貴方も出ていらっしゃい、と突然、電話を頂いた。指示された時間に久しぶりに学院に行くと年配の方たちばかりで、若い、知人は一人も居なかった。だから遠慮がちに黄さんの隣りに座っている私が居た。その場には院長の西村アヤ、文化科長の戸川エマ、田上先生。その他、かって黄さんと同級だった人たち、そして洋画家の田坂乾、ドキメンタリー映画監督の亀井文夫さんらが居たのを今に為って中村女史に教わり知ったが、その時は知る術も無かった。

 あの時、黄さん自身の口から、詩人 草野新平さんのこと、女優 李 香蘭こと山口淑子さんのことを直接伺った。 そして私が持参した、黄さんの詩が掲載されているアンソロジーの文庫本版に、献辞を書いてくだされ署名をして下さった。今、その文庫本を探してみたのだが、未だ見つからない。何と書いてくださったのか、確かめてみたいのだが。(また探し出したら、お知らせ、します。)
 黄さんの四川外語学院日本語学部での教え子の第一期生が日本の法政大学の教授に為っているとは!
 時間の経過は目まぐるしく、激しく、早い。
 二十一年前に、黄さんが書いたエセイ「50年ぶり東京に来て」(1984年5月26日 読売新聞夕刊掲載)のコピーを読みながら、今こそ、黄さんらの力を借りてでも、日本のメッセージを、きちんと中国に発信し続けていかなければ、駄目なのではないだろうか。手遅れに為らなければいいのだが!
 文革の時、あれほど騒いだ毛沢東の陰は何処へ消えてしまったのか。
あの時の紅衛兵たちが、辺境に送られ、現在の上海の隆盛等を知る時、どんな感慨を持つのだろうか?
1989年の第二次天安門事件の伏流水は、何処へ流れて行ったのだろうか?

 歴史の顰に倣い、巨大化し過ぎた国が崩壊し、分割するのは時の必然か。


天童 大人

後書:

とても不思議な感じです。最近、何故か中国で起こっている反日運動の動きを見聞きしながら、しきりに、1度だけ逢った先輩詩人 黄 瀛さんの事を思い出していたのです。もし、王 敏教授の文章を見なければ、このブログも書かれなかった筈です。
 黄 瀛さんは、私に何かを告げようとしたのでしょう?
今の私には、分かりません。ただもう黄さんの力を、お借りする事は、永久に出来なくなりました。
日本の為にも、誠に残念な事です。(8月5日PM:21時30分記す).

昨日(10日)、個展の案内状を届けに、文化学院の事務室に立ち寄り、事務職の中村悦子女史と、またまたあの黄 瀛さんの会のことの話になりましたが、やはり中村女史も、8月3日の朝日新聞の黄瀛さんの死亡記事をご覧になっていないので、愕然とされていました。その筈でしょう。前日の8月9日、NHK仙台の或るデレクターから、黄瀛さんに付いての問い合わせの電話があり、恐らく、そのデレクターも黄 瀛さんの死はご存じ無かったのでしょう。黄 瀛さんの死は波紋が拡がっているようです。
 それにしても戸川エマ先生の慧眼に改めて敬服します。人と人を繋げて行く的確な出会いの設定、人の才能を見極める能力には、改めて脱帽です。あの時電話を頂かなければ、黄瀛と言う先輩詩人の事も知らずに過した事でしょうし、王敏教授の文章にも触発される事は無かったでしょうから。エマ先生、本当に有難う御座いました。(11日 AM:9時記す)。

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