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2005/02/06

巨匠への道進むイヴ・ダナ

      自在に広げる創造の翼


 この12年余り、私はひとりの芸術家の仕事を、じっくりと見守り続けてきた。スイス・ローザンヌに住む鉄の彫刻家イヴ・ダナだ。 彼は昨年来、スイス・ジュネーヴの老舗、ギャラリー・ヤン・クルジュエーディテシェイムとパリのイレアナ・ブブリス画廊で相次いで個展を開いた。いずれの個展も、新たに刊行された2番目の作品集『DANA』(セレクル・ダール社)の出版記念を兼ねたものだった。 ダナにとっては1988年、スイスのグリフォン社から"二十世紀の彫刻家叢書”の1冊として、初めての作品集『DANA』を出してから12年振り。82年から99年の間に制作された彫刻のほぼ全作品が網羅されており、彼の彫刻の全容が一望出来るカタログ・レゾネになっている。作家自ら作品集のコンセプトやマケット(模型)を手がけて作られた事を知ると、より深く作家の意図するところを読み取ることが出来るだろう。いずれ作品集を作りたいと考えている作家たちには、ぜひ参考にしてもらいたいものだ。
 私はダナに招かれて昨年秋、パリのブブリス画廊を訪れた。その個展には、過去3年間に制作された作品から、選ばれた11点のブロンズ作品のみが展示されていた。初期作品に感じられた斜めに突き出て空間を切り裂いていた鋭い気配がかき消え、地中から湧き出てきた力が垂直に立ち上がり、大地に静謐さを漂わせているようだった。オープニングの夜、狭い画廊に溢れ返る人並みの中で、それより3年前の冬、彼の出身地エジプトで制作現場に立ち会えた幸運や、時代の流れに翻弄されることの無かったこの若い作家の道程が重なり合って甦って来た。
 まだ3歳の62年、時の大統領ナセルのユダヤ人追放政策により、二つの鞄のみを抱いて家族4人でエジプトを追われたダナ。今、その彼が石とブロンズの作品「出エジプト記」を発表し、新しい作品集の掉尾を飾るとき、ダナ自身の強烈な決意と20世紀彫刻との決別を告げていることを知った。
 その後、久し振りにローザンヌのアトリエを訪ね、スイス・ジュネーブの展覧会の最終日、ダナの車で初めて世界的に著名な老舗画廊に向かった。売約済みの多数の赤丸が付いた白い台座に置かれたダナの作品は、ここでもやはり、秘めた底力を感じさせずにはいなかったのである。
 彫刻家としてデビューしてから20年。ブロンズの複数制作も加え作品は500点余りに達しており、うち既に450点以上が個人コレクターや企業、財団、美術館に渡ったという。
 私が偶然手にした最初の作品集で、彼の比類ない才能に打たれ、日本に紹介したのは12年前だった。以来、日本での個展を含め、ローザンヌ、ヌーシャテル、ベルン、パリと特別なオープニングに招かれては、彼の作品をずっと見続けてきた。かってスイス彫刻界の重鎮でグリフォン社の社主をつとめるまるせる・ジョレー氏が「これまで五十歳以下の彫刻家は見たことが無く、存在もしないと思っていた」とダナのアトリエで語った当時、ダナはまだ26歳。目利きのベテランでさえ、”成熟”を認めざるを得なかった天才は40歳を迎えた今、鉄やブロンズから石、平面、版画まで創造の翼を自在に広げながら、間違いなく、巨匠への道を歩んでいる。
 ダナはこの秋、ニューヨークのギャラリー・ヤン・クルジュエーディテシェイムが開催するジャコメティ、チリダらのグループ展に、数点の新作を引っさげて参加すると伝えてきた。16年前、まだ作品集を持たなかった彼を作家とは認めず、門前払いしたニュヨークがイブ・ダナをどう評価するのか、今から楽しみが尽きない。

           (てんどう・たいじん=詩人・字家・朗唱家)
     
     
        毎日新聞 2000年8月8日(夕刊) 掲載より

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彫刻家イヴ・ダナの初めての絵画展

    彫刻家イヴ・ダナの初めての絵画展

 あの冷たいイメージの「鉄」に、温もりを与え、自由自在に操ることが出来る稀有な才能。1989年、日本人として初めて、訪れたアトリエで、自由に作品に手を触れて、観ることを勧めてくれた彫刻家、イヴ・ダナ。彼が絵を描き始めたのは、三年前、ポーランドのクラコフに行ってからだという。
 絵を描く。しかもデッサンを一切しない彫刻家がカタログを作ってまでの絵画展となると、まるで意味合いが違ってくる。全く想像が出来なかった。五年前、初めての海外展を日本で行ったダナ。彼の作品を見た人々に、彼が絵を描くと伝えても、驚いた表情が戻ってくるだけだ。
 四月中旬、ダナから一通の招待状が届いた。二十七日、スイス・ヌーシャテル市のGalerie Ditsheimで行われるオープニング・パーティーの案内だった。早速、イヴに電話をすると、絵画作品二十八点、彫刻四点の計三十二点で展覧会を行い、カタログは出来上がり次第送るが、もし来られるのなら、直接、渡すとのことだった。案内状の表紙に、絵画作品の一部分がトリミングされ用いられてはいるが、それでも分からないと言い切って良かった。
 私が所属しているプロダクションのNマネージャーから、ある映画にノミネートされているから、四月二十日から五月十日まで、時間を空けて欲しいと言われていた。外れればスイスに行く。ぜひ自分の眼で、彼の初めての絵画展に立ち会いたかった。
 今、バブル崩壊後、美術の世界も、特に現代美術作家名と価格とで判断してきた作品の価値が、著しく下落し、コレクターたちも画廊から足が遠のき、担保物件として保管している金融機関の「美術作品」も売るに売れない情況なのだ。数年前のバブル時期の美術雑誌を見ると、価格暴走振りがはっきり分かる。
 石油の産油国でもない、備蓄量が一ヶ月分余りなのに、相も変わらず外車、新車等と現を抜かしているこの国の様子は、四年振りに外に出て見ても、やはり戯画でしかなかった。動かない自動車は粗大ごみでしかない。
 ”一流”と思い込まされた作家の作品も価格も、本当は"二流”、か”三流”の作家だったことを、この数年間の流れの内で、あきらかになった。本当に好きで買った作品なら、毎日、鑑賞しながら楽しみ、作家のことを色々と学べるのだが、投資目的では、土台むりなことだ。自分の<無垢の眼>で見ることが出来ないから"本物”の作品と出合う機会があっても分からない。それは五年前、日本で初めて行われたイヴ・ダナ展に、深く関わってみて良く分かった。四年前のスイス・ローザンヌのギャルリ・アリス・ポーリで、私も観たが、彫刻とレリーフとでの個展でも、数多くの作品が売れた。そして、その後、美術界が低迷を続け、作家や画廊主が、作品が売れないとぼやいている間も、ダナは黙々と作品を作り続けていたことを私は知っていた。
 四月二十六日、ミラノからローザンヌに着いた私は、駅で待っていたダナから、カタログを受け取り、あのグリフォン社の『DANA』を印刷した名工、ジャン・ジュヌーによるものであることを知った。
 車を走らせながら、イヴは、クラコフで出会った二十六歳の若いポーランド女性、ベアタと二年前、正式に結婚したと告げた。そして見慣れた建物の前に車を停めると、ひとりの綺麗な若い女性が乗り込んできた。それがダナ夫人ベアタだった。一緒に食事に行くと言う。カタログを見てもダナの絵の質感は分からなかった。あと数時間で、実物を見ることが出来るのだ。明日の公式のオープニング・パーティーの前に、今夜、特別な招待客四十五人のためのパーティーが開かれ、私も出席することになっていた。
 ”テンドウも新聞に載っているよ”と言って、一枚のコピーを見せてくれた。日本の詩人・天童大人が一冊の書物から、ダナの才能を発見し、日本に紹介したこと等が記されてあった。
 夕刻、六時、ダナ夫妻と共に画廊に入ってみて驚いた。今までの彫刻家のデッサン展やドローイング展とは異なり、まさしく画家の本格的な展覧会であった。自作の鉄で作った額が、会場全体を見事に統一させ、彼の才能をより際立たせて見せることに成功している。全て、アルシュ紙を用い、鉄片をコラージュしたり、穴を開けたり、なぞったり、イヴが本当に楽しんで描いていることが画面からもはっきり読み取れる。四点の彫刻作品もバランス良く置かれている。私はただただひたすら、この空間に身を置いて、彼の作品を感じていたかった。
 作品名は(無題)が十二点。(蝕)が十二点、(鏡の向う)が三点、(紙の錆)一点である。カタログの詩文は1973年のゴンクール賞のジャック・シェセックスが書いている。会場にはジアナンダ財団美術館のレオナルド・ジアナンダ館長をはじめ、ローザンヌ、ヌーシャテル両市の有力者や知名人が集まり、場をレストランに改めて会食が行われた。その日、八点、作品が売れた。そして、会期は三週間延期され、六月十九日現在、絵画作品三十五点、彫刻作品十四点が売れたという。日本の美術界の現状を知る者が聞けば、いかに驚異的な数字であるかが分かる筈だ。
 今、売れないのは、「作品」が悪いからではないのか。イヴ・ダナのように自らの手で作り出した作品は、人の心を打つのだろう。発注作品や、弟子たちに手伝わせて制作された作品では、もう売れないのは当然かも知れないと、ダナの制作現場に立ち会った私は思う。
 この秋、ダナは故郷のエジプトにスイス政府給費で滞在し、彫刻の制作三昧に耽るという。恐らくダナの作品は大きく変化するであろうし、すでに訪れて、ビデオカメラを回し、ドキュメンタリーを撮ることを約束している私も、大きな転機が訪れることを、今から楽しみにしている。

       公明新聞 1996年6月25日 掲載より

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