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2005/03/02

  さよなら 画家 KEIZO

         イタリアで花開いた画家 KEIZO

             作家生活37年、90回の個展

 
                     天童大人

                     
 ミラノ在住で友人の画家KEIZOこと森下慶三さんが、去る4月5日(2003年)、突然の事故のため、亡くなったと7日の夕方、ミラノに住む友人から伝言があった。
 日本でKEIZOの知名度は低いが、彼は1944年、北九州市生まれ。高校卒業後の進路を決める為に、当時(62年)の知識人たち(川端康成、坂本繁二郎、佐藤忠良ら)を直接、訪問して意見を聞き、63年奨学金留学生として、イタリア・ミラノの国立ブレラ美術専門学校に入学。彫刻科マリノ・マリーニ教室で学び、67年、ブレラを卒業した戦後初の日本人留学生であった。
 同年、パドバでの個展でデビュー。69年、国内コンクールで新人賞を受賞し、ミラノの有名な画廊、スタジオ・マルコーニの契約作家に為った。またデザイナーのピエール・カルダンがミラノに、初めてブテックを開店する時、KEIZOの大作を購入し、店内に飾ったことで一躍有名になった。
 作家生活37年間で90回以上の個展をイタリア各地、ヨーロッパ、日本、韓国等で行い、絵画市場と批評とで認められたヨーロッパの画家のひとりであった。
 私がKEIZOの作品を見たのは76年、パリ。色はイタリアの抜けるような空の青。今までに見たこともない、明るい色彩の繊細なモザイク。とても新鮮だった。今なら島国・日本を描き続けていた事がはっきり分かる。彼に初めて会ったのは、日本で最初の個展のため帰国した79年、自由が丘の画廊でだった。
 同年齢でもあり、4年余りヨーロッパに滞在した経験から、彼に私の第1詩集『玄象の世界』(81年刊)の装画を頼んだ。その後、ヨーロッパに行くと出来る限りミラノを訪れ、彼のアトリエに泊めてもらい、街に出て、様々な人に会いながらいろいろと話を聞いた。この美術界の先達の言葉は、ことごとく的を射ていた。

 「テンドオ?ケイゾオだけど、どうしているの?」。
 突然、電話から響く、あのアルコールを帯びた懐かしい声を、もう聴けない。彼の人柄で長い間に培ってきた詩人、画家、評論家、コレクター、画廊等のイタリア文化の豊かな人脈は、残念ながら誰にも受け継ぐことはできない。
日本のためにも誠に惜しまれる不幸な出来事なのだ。
私にはまだKEIZOが亡くなった実感がない。

 「どうしているの?ケイゾオさん!」
 本当にありがとう、KEIZO.さようなら!

                        (詩人)

   四国新聞   2003年5月5日号 掲載
   日本海新聞  2003年5月7日号 掲載
   秋田魁新報 2003年5月8日号 掲載
   愛媛新聞   2003年5月8日号 掲載
   長崎新聞    掲載日時不明
  信濃毎日新聞  掲載日時不明

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