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2006/01/30

フランシス・ベーコン(画家)の作品の力

 FRANCIS BACON 『The Papal Portraits of 1953』と表紙に印刷された80ページ余りの薄い作品集は、数あるフランシス・ベーコンの作品集の中でも作品の成り立ちが判って秀逸な出来上がりである。

 これは何年か前に神田・神保町の田村書店の棚に在ったのを見て、気になり購った本だが、 何時頃からか画家、フランシス・ベーコンの仕事が気に掛かってきていていたので、何処の国の本屋でも彼の本を見かけると必ず手にとって開いて見た。
でも何故なのか同時期のイギリスの画家、ルシアン・フロイトには、ほとんど関心が無いのだ。

友人のT氏は、ルシアン・フロイトの全版画作品を持っているのだが。

 約10年程前の或る日、銀座で小さなオークションが開催された。
その日は北海道から戻って来た為、遅れてしまい、会場に足を踏み入れた時は、既に終わりに近づいていて、 会場では急に追加出品された数点の作品がオークションされていた。
 細長い会場の最後尾に居た私からは、出品され、セリに賭けられている作品の大きさの全ては判別できなかった。

最後の最後にフランシス・ベーコンの版画作品が出てきた。
 1975年3月20日ー6月29日まで、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された「FRANCIS BACON Recent Paintings」の展覧会用のリトグラフ・ポスターである。
 170部限定番号入、緑色のインクで、Francis Baconのサイン入りである。絵柄は「浜辺のトリプティック(三連画)」であった。この作品ついてはディヴィッド・シルヴェスター著『肉の慈悲』(筑摩書房刊)の155ページに、この作品に付いての記述がある。同書212ページにも。

以前にみたベーコンの版画は全て3点セットで、1点物を見るのは初めての事だつた。
会場の前の方が、この作品が出てきたときからざわめいていたが、何故なのか私には分からなかった。
セリは4人から3人、そして2人に為り、結局、私が競り落としてしまった。
自分が落札した品物の前に行って初めて皆が敬遠した訳が分かった。
額が175×125センチ、幅4,5センチ、重量16キロ、赤帽の車では駄目で、結局、1㌧車を頼んで、家まで運んで貰う大きさだった。

作品の画面の中央に横たわる得体の知れない生き物の視線に愛嬌が在って気にいった。
だが後からこの作品に付いて調べてみると、『肉の慈悲』の212ページに、この横たわる人物は1977年に塗りつぶした事が記されている。
だからこのリトグラフのポスターの絵柄の作品は、これ以外存在しない訳だ。

3年前まで住んでいた下目黒のマンションの玄関のスペースにはぴたりと納まったが、在る時、重さの為か落下して、額は損傷を受けなかったが、床が破損した。(フランシス・ベーコンは額まで偉大なり!か。)
 
 さてベーコンの作品には、版画と言えども得体の知れない力が宿っていた。
今でも毎日、飽きる事無く、この作品を眺め続けている。 版画でさえこの力だから、油絵なら尚の事だろうと思う。

そこで上記の作品集『The Papal Portraits of 1953』(2001年刊行)の事だが、 これはベラスケスの「法王 イノセント十世の肖像」にもとづいて制作された習作8点でのSAN DIEGOのFARRIS GALLERYで開催された展覧会の作品集だ。
これらの作品の部分を拡大された写真を眺めているだけで、もう充分、楽しむことが出来るのだ。
紫色が好きだからかも知れないが、筆のタッチが良く分かり、色調の違いもはっきり分かる。
 毎日、玄関に立て掛けているこの大きな版画作品を眺めるたびに、 この作品集を充分に読み込んでから、改めてフランシス・ベーコンの油彩作品を存分に見てみたいものだ、と考えている。

 

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2006/01/23

 犬塚 尭(詩人)さんの問いの言葉。

 天童さん、地球を止めた事がありますか?と突然、詩人 犬塚 尭さんが言われた。

 今、犬塚 尭詩集『折り折りの魔』(紫陽社刊 1979年5月10日第一刷)を開き、扉のページに、私宛に書いて下さった献辞

 もし鳥が飛ばなかったら

 空のことはもっと

   判りにくい

         尭

 そして私の名前を見ると、始めに書いた犬塚さんの言葉を思い出す。

日時は何時かは分からないが、詩人の高木秋尾氏と一緒に犬塚さんのお宅を訪ねた時のことだ。
何故、高木氏と訪問する事になったのかと言うと、同人詩誌「風」(主宰 土橋治重)の会のときにお会いして訪問する話に為ったのだと思う。かって短い期間だが、この詩誌『風』に私が作品を発表していたからだ。
 今、手元にある詩集『折々折りの魔』の献辞示を眺めていると、どうして犬塚さんが、私にこの問いを問い質すのか、前後の事はすっかり忘れているのに、何故かあの質問だけは時折、思い出すのだ。


 地球を止めた事がありますか?


 はい、と私は答えた。


 かって中央公論社から文藝雑誌『海』が刊行されていて、或る時、フランスの作家、ル・クレジオのインタヴィュー記事が掲載されていた。
 その中で、真の革命とは、世界同時に意識が統一されること、と言うような趣旨のことを話した。
例として、切符切りが、靴磨きが、運転手等が仕事中に、なんでこんな事をしているのかと、世界で同時に考えた瞬間が起きた時が真の革命だ、と言うような事を言っていた事が常に頭の何処かに在った。

 それから何年後かは、もうはっきり覚えていないが、、或る夜、この水の惑星の全ての人の意識が止まった、と言うべきか、止めたと言うべきか、 はっきりと確信できた瞬間を覚えているので、はい、と即座に、返事をした。

 犬塚 尭さんは1963年9月に、詩人としては第19回 H氏賞を詩集『南極』で受賞して居られる詩人で、朝日新聞の要職にもついていた。また 詩集のタイトルのように南極越冬隊にも参加された経験を持っておられる。
 残念ながら、既に彼はこの世には居ない。

 もし、今、ご存命なら、なぜ、あの問いを私にされたのか、是非、お尋ねしてみたいものだ。

 天童さん、地球を止めた事がありますか?

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2006/01/11

 エズラ・パウンド(詩人)の名刺

  娘さんから贈られた詩人 エズラ・パウンドの名刺


 去る5日、届けられた郵便物のなかに見慣れた筆跡の航空便を見つけた。
 イタリア・メラーノに住むMARY DE RACBEWILTZ夫人からの手紙だった。マリ夫人と言っても普通の人にはピーンと来ないだろう。彼女は20世紀を代表する詩人 エズラ・パウンドとオルガ・ラッジとの間に産まれた、パウンドの娘さんだ。
 急いで封を切った。中から当て紙に支えられて小さな薄いブルーの小冊子が出てきた。

     Mary de Racbewiltz

CENTOVENTI
e
OTTANTA ANNI


と表紙に紙の色より少し濃いブルーのインクで印刷されている。
 奥付を見ると2005年7月9日 ブルネンブルグで300限定刊行されたうちの82番。
その下に
 for Tendo Taijin

Mary de Racbewiltzとサインされている。
 
 16ページの何気ない小冊子だが、昨年の2005年はエズラ・パウンド生誕120年そして、マリ夫人80歳を記念して刊行された、グレーの本文活字と所々に配置されたブルーの活字が微妙に配置されて、印刷の粋さが感じられる素晴しい出来映えの掌本だ。(本当に嬉しいね!!!)

 その中から小さい紙が出て来た。


        EZRA PAUND

××× S GERGORIO VENEZIA


道路番号、そしてVENEZIAとだけ印刷されているだけのシンプルな、しかし、すこぶる趣きのある名刺だ。
 こんな名刺を作りたくなった。しかし、この活字は見たことも無いので、調度、神保町に行くついでに、懇意にしていただいている白鳳社の相田昭社長にたずねてみる事にした。

 直ぐ相田社長が調べてくれて、どの活字かが分かった。
 暫らく手元に置いて眺めてみてから、同じように制作するかどうか考えてみる事にする。

 名刺の裏には、私が昨年7月7日発行 Stephen Comee氏の翻訳で、英文の選詩集『The Wind from Dakar(1978-2005)』(私家版 77部限定)をお贈りしたことに対しての言葉が書かれていて、礼状に為っていた。(お洒落!!!)
 そうか!贈られた小冊子も私の英文選詩集も昨年7月7日、この小冊子は9日と非常に近い日時に刊行されているからか?

 何故かマリ夫人は、10年前、初めて藤富保男氏の紹介で詩集『エズラ・パウンドの碧い指環』をお贈りして以来、好意を持ってくれて、時々、貴重な資料を送って下さっていて、今でも続いている密かな交流だ。
私の初めてのCD 『UNIVERSAL VOICE』を贈った時も、もしエズラ・パウンドが生きていたら喜ぶでしょうとの礼状を貰っていた。
 今春には、何とか英文の選詩集を制作しょうと、考えている。

  乞うご期待!!!!

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2006/01/04

これでも貴方はハンバーガーを食べますか?

 ベネトンのカメラマン、オリビエーロ・トスカーニの著書『広告は微笑みかける死体』を読んで驚いた。

  昨年末、神田・神保町の通い慣れた古書店の棚から数冊引き抜いて買った本の内に、この本が混じって在った。
 読んでいてこの本の欄外にある注の記述に驚かされた。

 この事は既に誰もが知ってる事なだろうか?
 私だけが知らなかった事なのか?

 このオリビエーロ・トスカーニ著 『広告は微笑みかける死体』は、紀伊国屋書店から、1997年2月18日 第一刷が発行されている。発行されて約10年が経っているが、恐らく排出されている量は増大されているに違いない。

  私はハンバーガーを今迄、数える程しか食べた事が無い。ほとんど関心が無い食べ物だ。
しかし、この本を読み、これらの事実を知って、この美しい水の惑星の為に無視できない事が分かったので、書き記す事にした。
 
 (一個のハンバーガーをどれだけの自然資源を使い、どれだけの汚染物質が排出されるかが『カラーズ』には具体的に示されている。ちなみに、一個250グラムのハンバーグをつくるのに、食用牛の糞便が23キロ、尿13リットルが排泄されることになると記載されている。)<201ページ、注ヨリ)

 この『カラーズ』の事は、あとがきに(彼は写真やコンピュータ・グラフィックスを駆使して、日常生活からは見えにくい環境問題や社会問題に鋭く切り込む世界規模のビジュアル雑誌『カラーズ』を創刊<1990年>)と記されているが、未だ私は未見だ。

 (一頭の食用牛は年間約9000キロの廃肥と約5000リットルの尿を排泄する。『カラーズ』六号に掲載。

 糞尿のなかに含まれるアンモニアは牛一頭当たり年間約23キロ。アンモニアは土中で酸化され、硝酸イオンとなり土壌を酸性化する。酸性土壌は森林被害とも繋がり、また硝酸イオンは地下水汚染の原因ともなる。〔朝日新聞、1996年8月18日〕   199ページより)

  これらの記述を読んだ人々が、街中で1個のハンバーガーを安易に食べる人々。又それを眺める人々が、瞬間でも良いから、こんなにもこの水の惑星を汚している食べ物だという事に気が付いてくれればいいのだが!!!

  これでも貴方はまだハンバーガーを食べますか?

  ステーキは死んだ動物の肉、もっと問題かも。


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2006/01/01

惹起セヨ!大神 キッキ・マニトゥ!

  遂に今日、2006年1月1日より、今世に姿現し、惹起セヨ!

        大神 キッキ・マニトゥ!


  キッキ・マニトウが動き出すとき、闇が白日のに曝け出す時、
 曝け出された闇の中で、のたうちまわる者たちが多くなろうとも。
 キッキ・マニトゥが、再び、動き、歩み始める。
 1983年、帯広から。


 キッキ・マニトゥ!

 と、22年前、聲を上げてから、昨年まで154編の作品として、日本の各地、及びコロンビア、ペルー、アメリカ、キューバ、メキシコ、セネガル、ポルトガル、スペイン、スイス、フランス、イタリア、エジプト、マダガスカル、モーリス、レユニオン、マリ、アルゼンチン、ニュージーランド等、各地に、大神 キッキ・マニトゥは聲を納めてきた。
 今年から、より苛烈に、この美しい小さな水の惑星に聲を打ち込む。

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