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2006/04/30

BSE問題 米、検査縮小を表明「発生率、極めて低い」(毎日新聞30日、朝刊)本当かしら?

しっかりした全頭検査が出来ないなら、別にアメリカの牛肉を輸入する事も、食べなくても、日本国民は良いのだとはっきりジョハンズ米農務長官に通達すれば良い。好い加減な検査だという事は、実証済みだからだ。
 BSEの拡大検査の結果、「米国でのBSEの発生率は極めて低い」と結論づけたと言うのならばだ。
アメリカ側が言う根拠は何処に在るのか?
日本人の食に対する安全感覚は、愚鈍なアメリカ人には解らないだろう、決して、死んでも!
アルゼンチンから牛肉を輸入せよ!
アルゼンチンの牛肉を食べたら、アメリカの牛肉なんか不味くて、食べられない!!!アルゼンチンの牛は草原を駆けているから、肉が美味しくて,そして安いのだ!
実際、アルゼンチンから牛肉を輸入しょうとした時、国境を隣接しているウルグアイで口啼病が発生して駄目に為った。アメリカの差し金との噂もあったとか。

ところで、アメリカでの現在、ヤコブ病患者数は何人居るのだろうか?
現在、増加の傾向は無いのか?

 アメリカ・カンザス州のクリーク・ストーン社は全頭検査をする為に、日本向け全頭検査室を既に設置し、全頭検査を実施する予定で有ったが農務省が認め無かったといわれている。
 また世界最大のタイソン・フード社は「全頭検査の意志は無い」といっているなら、売り上げ3兆円、全米一の食肉加工工場、タイソン・フード社の牛肉は全面輸入禁止せよ。
もし最悪の政治決着の場合でもクリーク・ストーン社製の全頭検査をした牛肉は暫時、輸入。

 食の安全だけは後世に憂いを残さぬように、焦らずに強気の姿勢を保ち、日本の矜持を持つべきだ。

 それにしてもアルゼンチンの牛肉は本当に美味しいのだ!!!

 皆さん!アルゼンチン・タンゴも良いが、牛肉は安くて、本当に美味しいのだ!

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2006/04/28

 フルート見つかる JR川崎駅ロッカー 山形由美さん確認へ

 27日の毎日新聞、夕刊の記事を見て益々、不可思議なお話だ。
これはミステリーだ。西村京太郎先生にお願いして十津川警部に御登場して頂かなくてはなるまい。

 23日午前11時半にJR東京駅構内のコインロッカーに入れたフルートが、約90分後の午後0時55分頃JR川崎駅コインロッカーで、コインロッカーを使おうとした男性が発見した。
 誰が盗んだか不明だが、東京駅から川崎駅まで電車で約25分の距離。

 この事件には腑に落ちない点が二、三ある。
 1 先ずフルート奏者にとって、自分の分身ともいえる高価な(計1200万円相当)フルートを、友人と食事をする時にコインロッカーに預けるだろうか?持参して食事先のレストランで預けるのではないのか?

 2 その貴重な品物を預けたコインロッカーの鍵が見つからなくなるだろうか?
決して無くさない、大事に持つのが普通の常識ではないのか?

 3 姿の見えない確かに居る筈の盗んだ人間はどうやってロッカーを開けて(常習犯か?)、何故、川崎駅なのか? 監視ビデオカメラは東京駅に無かったのか?
 4 盗まれた品物は無事に出てきた。盗んだ犯人はどんな罪に問われるのか?

 川崎署は26日に山形さんに連絡し、27日夕方に本人か代理人が確認すると言う。

 これも可笑しな話だね。

出て来た楽器を、本人が飛んできて直ぐ確認するのが当たり前ではないか?

 最初の、山形由美さんフルート盗難、の記事を読んで、ロッカーの鍵が見えなくなり、第三者にロッカーを開けさせて、なくなっているのを確認した事を知り、これは胡散臭い話だと直識した。

 また山形由美さんも、もう46歳か!と変な処に感心もした。

 さて、十津川警部。

 この事件はどう解決されますか?
 
 まさか仕組まれた狂言劇だった、なんていう事に為らないでしょうね。


 
 

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2006/04/27

山形由美さん フルート盗難 JR東京駅、これは不可思議な話だ!

 この事件を26日朝、毎日新聞の朝刊で読んで、可笑しな話だと感じるのは私だけでは無いだろう!

 フルート奏者であれば、フルートは自分の分身の様な貴重な物で、手離して置く様な物ではないだろう。
まして今回の盗まれたフルートは1本は500万円、もう1本は700万円、計1200万円相当の高価な品物。

 自分の分身で、高価な品物をコインロッカーに預け入れますか?

その分身である高価なフルートを預け入れたロッカーの鍵が見付からなかった。
 そしてロッカーの管理会社に連絡。開けるとかばんがなくなっていたと言う。

常識的に考えみても、不可思議な話ではないのか。
この新聞記事が正しければ、疑問点が二、三、ある。

どうして、貴重品を納めたロッカーの鍵を、大事に仕舞って置かなかったのだろうか?


 ただ単なる不注意と言う事では済まされないだろう。
まして一流の表現者ならば、こんな愚かな行為は断じてありえないのではないか!

 穿った事を言えば、私が危惧している結果にならなければ良いと思います!

 このブログを読んで下さる皆さんなら、私が何を言おうとしているか意味は解りますよね 。

 楽器には罪は有りませんから、どうか無事な形で本人の手に戻る事を祈っています。


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2006/04/19

作曲家 武満 徹さんからの礼状

 瀧口 修造の絵葉書に、天皇皇后両陛下御訪欧記念切手15円が二枚と10円切手が貼られていた。 
何故か不思議な取り合わせだと感じていたから、取り置いていたのだろうか。

 消印は57.1.1
即ち1982年1月1日、東村山、12-18時である。葉書は1979年 南天子画廊が制作した瀧口 修造<水彩>である。
 内容は、前年の1981年10月に刊行した第一詩集『玄象の世界』(永井出版企画刊)を武満氏にお贈りした礼状である。
 
 文面は、  詩集ご恵送たまわり
        ありがとうございます。
        新春に、新たなこころで
        拝読いたします。
        あいがとうございました。

 そして武満氏の東村山市の住所と名前が書かれている。
何の事は無い。
 しかし、 1月1日、 天皇皇后御訪欧紀念切手(二つの菊の御紋章付き)、 瀧口 修造の<水彩>絵葉書、武満 徹 、この組み合わせは偶然なのか?又は武満氏が意図的に選んでの、何らかのメッセージなのか?
どう読み解くべきなのか?
年賀状でもない。既に、24年も歳月が経つと言うのに、未だに分からないのだ。

 何かが私の心にひっかかつて居るのだが。

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2006/04/18

ベネズエラの文化大臣から第三回 カラカス国際詩祭の公式招待状が届く。

 第三回 カラカス国際詩祭(7月17日~23日)に、旅費、滞在費、全てベネゼエラ持ちの招待、と言う事が4月5日、送られて来たE-mailで分かった。
昨年は、日本からは、白石かずこさんが招かれている。今年はアジアからは私だけだそうだ。

2004年11月のアルゼンチン・ロザリオでの第十二回 ロザリオ国際詩祭に招待されて居たから、何処かその筋からかと思っていた。しかし、それは違っていた。

 ドイツの詩人 トビアス・ブルックハルトから電話があり、イラクのアリも一緒だと伝えてきた。
彼らトビアス夫妻は昨年のカラカス国際詩祭に招かれていて、かずこ(白石)にも会ったよ、と言った。
アリは現在、スイス・チューリッヒ在住で、アリーブナタッピ国際詩祭の主催者で、もし、イラクに平和が戻ったら、一番にバビロンから私の展覧会を、イラク全土に巡回する約束をしているのだ。
私の展覧会がイラクで開催されたらイラクに安全が戻った事の証しだ。 しかし、何時の日の事か!
 ポルトガルのブリトーも一緒だと。

 詩の兄弟、イラクのアリと日本の天童とがチャベス、ベネゼエラ大統領に会見する!

 面白いねと、トビアスが言う。

 「詩の世界」を一握りの詩人たちが矮小化させている日本でよりも、「聲ノ力」で活躍する場が世界に在る事を、私が身を持って示している。

 間もなく今年で17年目を迎える、神々に聲の贈り物をして。
    

         第17回 -聲ノ奉納ー 

天童 大人 UNIVERSAL VOICE公演 対馬 in 和多都美神社 

       ーこの水の惑星に聲の贈り物をー」

     2006年5月27日(土) 14時41分開始

 対馬・豊玉町・和多都美神社、海中の一の鳥居から


 はや17年目、二年前の2004年5月の「聲ノ奉納」から、雨を止める事が出来るように為った「聲ノ力」。
この時の証拠は写真として残されている。
昨年もほとんどの台風が福岡沖で、対馬を逸れて去っている。
台風の被害が対馬では少ない筈だ。

 さてこの「聲ノ奉納」以後、どう世界が展開するか、楽しみだ。

  

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2006/04/15

ピアニスト ZYGMUNT DYGATの弾くショパン,彼が創り、産み出す音の素晴しさ!

 パデレスキーの三大弟子の一人、ピアニスト、ジグムント・ディガットの弾くショパンを聴いた人は、クラシック音楽フアンが多い日本でも、ほんのひとにぎりの人しか居ないだろう。
私はデガットの弾くショパンの曲を、かってパリの彼の家で聴いた事があるのだ。
 其れは1975年8月5日。まさしく一瞬の僥倖とも言える至福の時間だった。

 ピアニスト、ジグムント・ディガットはルービンシュタインと並んでポーランドのパデレスキーの三大弟子の一人。もし亡命していなかったら、ショパンコンクールの審査委員長に為って当然の実力あるピアニストなのだ。
 何故か日本では全く知られて居ない。

 私がヨーロッパに滞在したのは、最初、1972年8月から1974年4月までと1975年6月から1978年5月迄で、1975年の時はパリを中心にして居た。
その後、十数回渡欧しているが、この二度の約4年に渡るヨーロッパ滞在での体験、経験が、今の私を築き上げてる礎と為っている。

 今、何故、ディガットの事を書くかと言うと、一枚のパンフレット(4ページ)が出てきたからだ。
 私宛の言葉を入れて、赤いインクで書かれており、1975年8月5日、パリ、と記されている。

 
彼にピアノを教わっていたのが私の知人。日本人の女子学生M・Fで、パリに在るラフマニノフ音楽学院(多分?)で、デガット教授に教えて貰っていたので、1度、私はついて行った。
 粗末な木造の校舎の中で夕陽の照るなかで授業は始まった。
デガットの弾くピアノの音は、音楽その物だった。
 その時、私は生まれて初めて,本物のピアニストが弾くピアノの音を聴いたと思った。

 そして次回の授業はデガット教授の自宅で、彼女がレッスンを受ける時、一緒に来ても良いと言う事で私もついて行った。
その家が何処だか今では全く分からない。

彼女がピアノのレッスンを受けているのを黙って聴いていた。

1時間余りのレッスンが終わり、デガット教授が、黙って聞いていた私に向って、貴方の為に弾きたいが、何を聞きたいか?と言われた。私は、ショパンを所望した。

 私はピアノの上に架かっていた、J,HOSHIZAKI とサインされた絵を見て、日本人?とデガットに訊ねると、知り合いの日本人の画家だと彼は言った。

 後年、このサインの画家は、星崎順之助(今、どんな字だったかどうかが判らないが)と言う画家で、日本橋の画廊で本人と話す事が出来た。
 
 
 教授が弾き始めた聞き覚えのあるショパンの曲は、日本人がショパンを学んで弾くのとは、大違い!!!
 デガット教授が弾くだけで、既にショパンなのだ。
 ショパンに為っている。 ピアノの音が違う。学んで弾いている訳ではない。彼自身が既にショパンなのだ!

 私は余りにも気持が良くて、その場で寝てしまったのだ。

 その後、パリでミケランジェリ、ポリーニ、アシュケナージ、ルービンシュタイン、バレンボイム、リヒテル、ギレリス等のコンサートでピアノの音を聴いたが、間近で聴いたデガットのピアノの音にはどれも敵わなかったのだ。

 驚いたね!! これには。
 日本人は何を音楽大学で学んでいるのだろうか!
いや、誰が、何を音楽大学で毎年、生徒に教えているのだろうか?
 もしかしたら、ショパンを教える事は出来るかもしれない。
しかし、学んだ者は学んだ事を弾く事は出来るかも知れないが、ショパンではないのでは?

デガットのピアノの音を聞いてからは、幾ら有名なピアニストの音を聴いても納得いく事が出来ない自分が居た。

余りにも、下手糞すぎて!!!

 音が出来ていない!

 聲も人為り。字も人為り。音も人為りなのだが、解っていないピアニストが余りにも多すぎる。

何とか、今、生きているピアニストに聴ける音を弾き出して欲しいと望むだけだ。

 有名でも実力が無いピアニストが多すぎる。

何処かに、今、聴くべき音を産み出すピアニストが居ますか?

 居たら有名無名に関らずお教えいただきたい。

 あの至福の時を、再び味わいたいものだ。


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2006/04/13

詩人 黄 瀛(こう えい)さん直筆のサイン。

 遂に黄瀛さんに書いていただいた肉筆を見つけました。

 昨年(2005年)8月3日付けのブログ「詩人 黄瀛さんの会について」を書きました。
そして間違いなく黄瀛さん自身にお会いした証しとして、万年筆でサインして頂いた本を捜して来ましたが、ひょんな所に隠れていた本を遂に見付けました。

 『現代詩集 歴程篇  歴程同人編』(角川文庫ー343-)昭和27年5月30日初版発行。
この文庫の内に、黄瀛は「雪の日」、「會見」、「或る日のH氏」の三編が収録されている。

この文庫本を買ったのは、かつて池袋西口に在った 古書高野 こと高野書店。
既に今は無い。この高野書店の主人は今の高野之夫豊島区長。(懐かしいね!)

 すでに判読不明の署名が有り、その横に、

            五十年ぶり母校で
            若い、併しいみしい鬚の詩
            人天童さんと相逢う
            楽哉!快哉、 
                 黄瀛84,6,23

 と万年筆で書いてくださった先輩、詩人 黄瀛さん。

 さようなら、先輩 詩人 黄瀛さん!!!


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2006/04/11

瀧口 修造が書いた「ブルトンの書斎」

 「みづゑ No646」(1959年3月3日発行)に初出が掲載されて居るのは知っていたが、実物に触れて見る事は中々出来なかった文章「ブルトンの書斎」。

其れが昨日(4月10日)神田・神保町の通い慣れた古書店の奥に、積まれていた「みづゑ」の中でを見つけた。
 50冊余りだろうか、1冊、300円。
或る画家が処分した物だとか。

積んである雑誌を捲りながら、或る1冊を開くとあのブルトンと共に写っている瀧口修造の写真が目に飛び込んできた。
 右上にはPhoto:Rene Rolandと印刻されている写真。
このブルトンの書斎を"人間博物館"と名付けた瀧口修造。
 先頃、亡くなった若き日の東野芳明も写って居る。

 何故かかって、シュールレアリズムは文学運動ではない。 れっきとした政治運動なのだ、と直識した時の事を思い出した。

 1968年のパリ五月革命は、世界に影響を与えたが、前年末に数人の手で作成された薄い小冊子から始まった事はほとんど知られていない。
 この小冊子の存在を察知したフランス秘密警察が手入れを行った時、 事前に捜査を知ったメンバーは、取るものもとりあえず逃げた。

 アントナン・アルトーの自作詩の生原稿を、多数、置き去りにして、その他、今となっては貴重な資料を投げ捨てて逃げた。

  その逃げた男の独りと1976年、パリで出会った。  その時、色々な事を聞いた。

 その男は1980年代に日本を訪れた。その時、沢山聞いた、逸話の1つを、出会った瀧口修造に話した。

 1978年1月15日、自由ヵ丘画廊で開催されていた「窓越しに・・・マルセル・デュシャン小展示」の会場で、私は瀧口修造に、或るアントナン・アルトーのエピソードを伝えた。

すごく私の話に興味を持った彼は、面白いですね。発表したら是非、送ってくださいよ、何時、書かれるのですか、言った。
 今、残っているのは、その時にサインして貰った、案内状と会場に居合わせた人々と瀧口修造を中心にした1枚の写真だけだ。
 1979年7月1日、瀧口修造は亡くなった。

その後の1980年、詩誌「幻視者」(第19号)に、詩作品「太陽の啓示 -瀧口修造にー」を書き、発表。
密かに、追悼した。その詩作品の中で、「直識」 (これは天童大人の造語で、2002年12月27日、登録され商標原簿に登録された。)が初めて用いられた記念すべき作品で、詩集『エズラ・パウンドの碧い指環』(北十字舎刊)に収録されている。

 日本の陰湿な風土の中で、瀧口修造が健康で有ったら、真のシュールリアリストに為りえたであろうか?


  

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2006/04/08

総合規制改革会議(議長 宮内義彦オリックス会長)が議事録作成せず、の罰則は何か。

 もし毎日新聞(4月5日掲載)が3月2日に、規制暖和の検討内容を調査する為に、情報公開法に基づいて議事録の公開を請求しなかったら、未だ分からない事だったのだ。

 01年4月、から04年3月末までの会議の議事録を作成していない、とは随分杜撰極まりない、と言うだけでは済まされない問題を含んでいる。
規制改革を首相に進言した場会、誰が議論を誘導したのかのプロセスが全く分からない。
分からない、責任を取らない為にも、意図的に、宮内義彦オリックス会長の元、確信犯的に議事録を作成せずに来たのだろう。
もしかしたら、オリックスという会社は、会長がこんな好い加減だから、叩けば綻びが幾らでも出てくるのではないか。
その宮内義彦オリックス会長がその後の、規制改革・民間開放推進会議、の議長も勤めているとは、驚くほどお粗末な小泉内閣だ。
 即刻、宮内義彦オリックス会長は、規制改革・民間開放推進会議の議長を自ら辞任するか、小泉首相が解任する事だ。
辞任も、解任も出来ない、日本をアメリカに売り渡している張本人なのではないか?
小泉首相のお墨付けを貰って、好き放題、遣りたい放題遣っている気配が、漲っている。
総理大臣在任歴代3位とか言われていても、国民を裏切った事が、何れ時間が経つと分かるが今のうちに、退陣した方が良い。
 内閣設置法に基づく規則で定められた議事録を作成しないで、数多くの規制改革を首相に答申したとはどう言う事か?自分の罪を逃れる為か?
 この議長 宮内義彦会長は、01年に在日米国商工会議所(ACCJ)の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。アメリカの利益の為に、働いているから表彰されたらしい。

首相の諮問機関が、内閣設置法に基づく規則を自ら破った。

小泉首相は自分の責任をどう取るのか、宮内議長にどう責任を取らせるのか、出所進退を明確にせよ!

 それにしても小泉内閣には胡散臭い人物が多く、巷に悪臭が立ち込め始めた。

 もう早期退陣しかない、無いのだが、国民の中からは、声が上がってこない。

 不思議な事だ。
 

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2006/04/05

米国債を売り払い、小泉内閣は総辞職せよ!

 本を読むと思いがけない事が解る。米国国債を売り払えば消費税率を上げる必要など何もない。
 信頼できる政治評論家森田実氏の著書『公共事業必要論』(日本評論社、2004年6月20日刊行)を読んで、驚いた。
 皆さんは知っていましたか?以下の事を。
 少し長いが引用させて頂きます。
 
 ”第一に日本にはカネがある。繰り返すが2003年1年間にドルを20兆円も買い、そのドルの大部分で米国債を買った。2004年1~3月の3ヵ月間でさらに14.5兆円を同じ事に使った。この1年3ヵ月でなんと34.5兆円もの大金を使ったのだ。日本政府・日銀はドルを買って円高を止めている。その大部分で米国債を買っている。「米国政府にプレゼントしたのではなく貸しただけだ」というかもしれない。しかし米国側からは「小泉内閣は日本が持っている米国債は決して売らないと約束している。日本は米国債をただ買いつづけるだけで決して売ることはない。そんなことをすればその内閣は存続できない」と言う声が聞こえてくる。米国側は「日本政府からもらったも同じ」という態度だ。「日本は米国債は売らない」との日米両国政府間の約束は2002年2月18日の東京における日米首脳会談でなされたとの証言がある。事実としたら、由々しきことである。”

 こう言う当たり前の事をキチンと報道するマスメデア、ジャーナリストが見当たらない。
是非、この本を直に読んで頂きたい。

森田実氏のようにはっきり言う人がどんどん増えてくれば良いだが。
 政治家もどきに、騙されないことだ。余程、悪い事を行っているのだろう。
為政者たちの顔相が益々悪くなる、余程、裏側で悪い事を行っているのだろう。
 暴かれる時がどんどん近づいて来る。


 2004年4月から2006年3月までどれだけドルを買い、米国債を買ったのか、何方か調べて頂きたい。
日本国民の金を、こんな使い方をして平気なら、小泉純一郎は、売国奴、ではなのか!
 内閣が潰れるなら、自分で組閣した内閣を潰せば良い。
自分が行った約束を反故にして、早期退陣するべきだろう。

 今日(4月5日)の毎日新聞の5面に、谷垣財務省が、消費税率引き上げ等を考えては、と。
そんな考えでは既に次期総理の目は消えている。
米国債を売り払えば問題ないだろう。

 日本国民のカネは、日本国民のために使うことだ。
 当たり前の事が出来ない小泉内閣は、早期退陣せよ。

 国民を馬鹿にし過ぎている、戦後最悪の総理大臣だという事が後世、明らかに為るであろう。

 最も民度が低すぎるから、低さに準じた為政者かも知れない!!!

 

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2006/04/02

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーを日本酒のコマーシャルに

  ローリングストーンズが来たので、かってミック・ジャガーのコマーシャルの出演先を探して欲しいと後輩に頼まれた事を想い出した。

 今から32年前の1974年、2年余りのヨーロッパ滞在を終えて、日本の友人宅に帰宅した頃、私に1本の海外からの電話が入った。相手は大学の後輩で、テレビの都はるみそっくりショーに出演、優勝した賞品でヨーロッパに行き、1度、帰国したがその後、パリに住んでいた。何故、私に電話があったかと言えば、パリで彼女Nさんに会い彼女から色々とパリでの生活を聞いていた。
 彼女のアパートに、マリーネ・デートリッヒが住んでいて、お手伝いさんに何か頼む時は、全てメモを書いて渡していて、会話はほとんど交わさないと聞いた。
後日、そのお手伝いさんが本を出し、邦訳が出された事を知り、N女史の行っていた事が本当だった事を知った。
 また映画「タクシードライバー」の監督マーティン・スコテッシュが彼女のアパートの窓から見えるホテル・アテネプラザの玄関を撮りたいっと言ったとか。

 さて電話での依頼は、最近、アラン・ドロンの家のパーティーで踊っている時、猿のような顔の男と出会い意気投合して話が弾み、日本にその猿のような男が行きたいと言う。しかし、お金が無いから、彼が出演できる何かテレビコマーシャルを探してくれないか?との事だ。
その男、ミック・ジャガーって言うんだけど、私、知らないけどマッチヤン、知ってる?ローリング・ストーンズのヴォーカルだって。
 知ってるよ。
 あら、そうなの?

 日本酒のテレビコマーシャルなんかどうかしら?何でも良いんだけどね。
100万あればいいんじゃないかしら?どうかしら?
 そお何処かあたって見るね。
 しかし、帰国して直ぐだった為か難しかった。数日後、駄目だよ、と言うと仕方が無いわね、彼も時間が無くなったからね。マッチャン、ゴメンね。又ね。

 あの時、何処かで出会いが有れば、100万円でミック・ジャガーが日本酒のテレビコマーシャルに出演していたかも知れないのだ。
 N女史は今、ロスに住んで居る筈だ。

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2006/04/01

英文学者 壽岳文章先生、御一家の花見

 
 何方か塔の立っている傍の道の片側に、桜並木の在る場所をご存知ありませんか?

 最近、何故か私の「字」を認めて下さった英文学者で、和紙の研究家でもあった壽岳文章先生の事がしきりに思い出され、気にかかったので、九州に飛び、信頼できる霊能者H女史に相談した。

 答えは驚く話だった。奥様のしずさんは随筆家でも在り、亡くなられて久しいし、壽岳先生が亡くなられたのは1992年1月16日既に14年は経ている。お嬢さんの章子女史は昨年に亡くなられた。

 まだ上がっていらっしゃいませんよ。 え!
今、この壽岳先生は塔の傍の片側に桜並木があり、その桜の木の下で桜を愛でて居られますよ。
奥様のしずさんと、ご夫妻の背後にお嬢さんが立って居て、壽岳先生が天童先生に手を合わせて頼っておられますよ、との事。
 この場所は何処か、心当たりは在りませんか?
 壽岳先生は向日市にお住まいだったから、奈良か何処かの塔の有る場所ですね。
 三人、お揃いですよ。

 私には心当たりが全く無かった。
 でも今はお花見を為さっておられますから、今しばらくはこのままにしてあげましょうね。
 其れまでに壽岳しず、章子さんの生年月日、死亡年月日、年齢を調べて置きます。

 迂闊だった。既に亡くなってから14年も経って居るからとっくに上がって居るとばかり思っていたのだが。
 もう少ししたら壽岳文章先生、御一家を上げて差し上げよう。

 それが今世に生きている私のお役目かもしれない。
 壽岳先生は、坊主の字は、慈雲さんの字、以外は好まれなかったように思う。

 坊主の力も今は無いからね。葬式坊主が多くてね。
 また僧侶と兼業に作家もやって来た、 変な女僧が還俗しても、僧衣を纏い、巷を跋扈している。
この間、丸善の東京駅店の店内ですれ違ったが、衣装に惑わされてはいけないよ。もう形に囚われる年でも有るまいし、そんなに欲を出してどうするんだろう。スタップを引き連れて、気の毒だね。誰も言わないんだね。何の為に仏門に入ったのか未だ解っては居ないようだね

何時の間にか こんな胡散臭い輩ばかり溢れる国に為ってしまったね、この国は。

 このH女史は、ヴィジョンが見える人。真の幻視者。
 こう言う優れた霊能者を知っておく事も、この魑魅魍魎としているこの世を生き抜くには必要な事だ。
 自分独りの知恵などたか知れているからね。知らないのが為政者として、有識者として蔓延っている。
 おお、何時の間にか、やな国に為ってしまったね。本当に。

 何とか今のうちにこの国を建て直さないとね。
 でも人物が居ないね。政界にも財界にも残念ながら、ね!!!

 壽岳先生と会見した時は、時間があっという間に過ぎてしまった。
 良い会話が出来た。

 本当に有難う御座いました。壽岳文章先生。

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