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2006/08/31

霧島神宮よ!事務的な事を迅速に遣らなければ、神事も滞って居るように思われるぞよ!心してかかれよ!

 霧島神宮の関係者がこれを見たら私が何を示唆しているかがお分かりに為るだろう。
この5月29日から約3ヶ月余り経っても、或る事務手続きが手付かずのままであった事は事実である。
 社務所内部で何があろうが、外部の人間には窺い知れず闇の中。
この8月下旬に、霧島神宮を訪れ、確かめて見たが見当たらず、御札を売っている巫女さんの一人に問い合わせたが要領を得ず、自分の名前と携帯番号を書き、出来たらご連絡を、と言い置いて神宮を立ち去った。

 形は幾ら立派でも、心がないのでは、気分、著しく悪い。

 翌日、コズマと名乗る宮司から電話があり、用意が出来たが板が無い、との連絡があり。

 もし、この日に霧島神宮を訪れる事が無ければ、この事は分からずじまいで終わったのかも。

 東京からは滅多に来ないものとの早合点か。

 これ霧島神宮は、心改めてより神事に励めよとの御託宣なり!!!

 

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2006/08/30

ヤンキース・スタジアムで全日本高校選抜チーム、松井秀喜に会う!

 久し振りにヤンキース、松井秀喜の元気な姿をテレビで見た。早実の斉藤佑樹君の質問に、丁寧に答える松井の姿を見て、早くユニフォーム姿で松井秀喜がプレーする姿を見て見たいと思う。

 松井秀喜の清々しさって、何処から滲み出て来るのだろうか。

良いものには、優れた者には品格が在る。

 早く起きて、ヤンキースの試合を見なく為って、ある種の物足りなさが付き纏っていたが、其れも間もなく、終わる。

 55番を付けた松井秀喜。残りの試合でどんな活躍を見せてくれるのか、とても楽しみだ。

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2006/08/29

対馬・壱岐が中心と為って、元寇慰霊祭(仮称)を、早急に挙行せよ!

 1274年に元のフビライの軍隊が日本に来襲した(文永の役)。1281年にも再び来襲した(弘安の役)。
この時の慰霊祭を、今こそ対馬・壱岐が先陣を切って提唱し、長崎県・九州・日本国を動かし、元寇慰霊祭(仮称)を挙行し、かって中国は日本に侵略を図った事を公にさせよ。

 勿論、式典には列席するしないに関らず、中国首脳に招待状を出す。国連、ユネスコ、関係諸国を招き、歴史的事実を確認し、二度と過ちがない事を願っての祭典、式典に徐々にして行く事が望ましい。

 今、玄界灘、波タカシ!!!

 17年間、対馬の和多都美神社で「聲ノ奉納」を続けてきた一人の人間が言う事だから間違いは無い。
 対馬が危ないぞ!!!

 緊急に、対馬・壱岐の住民たち関係者は惹起セヨ!!!

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原子力発電所は本当に安全なのか?

 28日、地震学の専門家で、委員の石橋克彦神戸大学教授が「原発の耐震性が保障出来ない」と辞任を表明して退席した原子力安全委員会・耐震指針検討分科会では、改定案を最終決定し、9月中にでも同委員会で決定されると言う。
 可笑しな事ではないのか。
 直下型地震はM6.5にとどまっていると言う。
耐震指針改定案なら、即座にM7を想定すべきだろう。
M7を想定して指針を決定するべき事を、基準を低く想定してしている。

 もしこの指針改定案が通過した場合、活断層でM7程度の地震が発生し、国民に多大な被害が出たとき、鈴木篤之・原子力安全委員長はどんな責任を取れると言うのか?
各電力会社の利益優先を第一に考えていて、故意に国民を危険に導くような言動を行っている鈴木篤之・原子力委員長を始め、追従した委員の責任は非常に重い故に、追従した委員の名前を公表するべきだろう。

 言葉の問題、机上の空論ではない。

 即刻に、M7で想定し、指針を書き直せ!!!

 国民の安全の為にも、耐震指針検討分科会を再開し、審議をやり直せ!!!

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2006/08/23

アメリカの凋落は、この2月、チェニー副大統領の誤射事件から始まった!

 数千人のヒズボラ、イスラエル・アメリカに勝利と言った感じに映るレバノン停戦だ。
即時、ナスナラ師率いるイスラム教シウーア派組織「ヒズボラ」が、全壊した家屋の持ち主に約40万円等を支払う復興支援が始まっていると報じている。
 こんな素早い支援に一般市民は素直に喜ぶのが普通だろう。
この復興支援までを考えてヒズボラが戦ってきたのなら、戦う前からヒズボラの勝利だろう。
 
 もし、何かが切っ掛けで戦闘が再開されても、一般市民はヒズボラを応援するのは必定の事。
無辜の民の心を掴んだ指導者ナスララ師がナセルの再来だと言われても仕方が無いだろう。
 小賢しいブッシュ、ライス等が暗躍しても、ヒズボラに武装放棄させることも出来なかった。
無敵を誇ったイスラエルも呆気なく撤退?
 今、チェニー副大統領は何処で、何を企んでいるのか?
 小賢しい集団の末路はどんなものなのか、しっかり見てやろうではないか。

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2006/08/21

ライオン銀座ブラッセリーでの個展は昨日(20日)で終わりました。今日(21日)から9月3日迄は、井口通太郎氏です。

 ご来場、有難う御座いました。昨日で、無事に終わりました。
今日から9月3日は、井口通太郎氏の展覧になります。また9月4日から17日迄、山川美代さんです。
 銀座にお出かけの時は、是非、5丁目の旧小松ストア地下のライオン銀座ブラッセリーにお立ち寄り下さい。
 宜しく、お願いします。

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2006/08/20

Sao Paulo-Shimbun(2006年8月19日)号に、興味深い記事が掲載されていた。

 「扇千景参院議長一行が来伯 大統領と会談、日系代表と懇談も」とある。
 例え、滅多にWebサイトでも南米の事に関心を持つ人が、少ないだろうから敢えて記事を引用させて貰う。

 扇千景参議院議員議長を団長とする参議院議員団一行十人が、南米公式訪問の一環で、今月(八月)十九日から二十四日の日程で来伯する。

 来伯する十人の中で参議院議員は、扇千景(無所属)、清水嘉与子(自民)、興石東(民主)、風間昶(公明)の四人。

 一行は十九日に着伯後、二十日に南大河州戦後日本人入植五十周年式典に出席し、二十一日にレンボ聖州知事、ガルシア聖州議会議長を表敬訪問するほか、開拓先没者慰霊碑・日本館、移民史料館視察し、日系社会代表と懇談。

 二十二日はブラジリアへ飛びルーラ大統領、アモリン外相らとの会談が控えている。

 二十三日にはCOSAN社のエタノール工場、トヨタ工場を視察し、夜にはブラジル日本商工会議所との夕食懇談会に参加する。また二十四日にはサントスを訪問し、訪伯日程を終える予定となっている。(Sao Paulo-Shimbun,
2006年8月19日付) と新聞記事には記されている。

 問題点を以下に記す。

 1 御一行様、は十人。内四人が参議院議員、残りの6人とは、誰か? 南米公式訪問と言うのだから明らかにしないと不味いだろう。
 2 どんな旅程で、日本と南米を往復したのか、明らかにせよ! まさか帰路、パリ経由で帰国ではないでしょうね!!!
 3 移民祝典に出席とあるなら、ドミニカ共和国には、立ち寄るのか?もし立ち寄らないのなら何故か?他に寄られる国は何処か?
 4 今回の十人分の旅費その他は、国費か?もし国費なら四人の議員を除いた6人は私費か?
 
 お決まり国会議員の夏休みにならぬよう、心して行かれよ!!!

 空中から、お主たちの行動を巨大なドラゴンが監視している事を、ゆめゆめお忘れなきように!!!

 健闘を祈る!!!

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2006/08/17

またまた、ドラゴンが我が家に遣って来た!!!

 この6月、私に付き従う如く、身近に居る強大なドラゴンの事を霊視で知らされた。
その事を親しい友人に話したところ、かって香港に住んでいた時に購ったバカラ製のクリスタルの可愛いドラゴンを贈られた。香港では龍の通る道の為に軒下に穴が開いているのだとか?
 届けられたドラゴンは高さ7,5。幅4,5。長さ12センチ。
両手で玉を押さえ込んでいる愛らしいドラゴンだ。

 我が家の玄関の台の上。スイスの天才彫刻家イヴ・ダナから送られた彫刻作品。「平和の塔、ツイン・タワー」の間の奥に鎮座ましましている。

 今日、我が家に遣って来たのは、パソコンのマウス・パッドで二頭のドラゴンが天と地とに配置されている。
これはスミソニアン美術館のアーサーサックラーギャラリーで発売されているオリエント・コレクションのなかに或る物だ。 これまた親しい友人から頂いた物だ。早速、使わせて頂いて居る。

さて今月末までには、私のドラゴンがどんなに大きくなったのか?どんな色なのか?また一頭だけなのか?
何故、私に付き従うのかが明らかに為るのだぞ!

 とても、楽しみな事だ。
  
  乞う ご期待!!!

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2006/08/15

前NHKワシントン支局長・手嶋龍一著『ウルトラ・ダラー』を読んでみた。

 今日、近くの古書店の棚から、現実は物語に予言されていた 手嶋龍一と記された帯の文を見て、思わず手に取ってみた。面白そうなので、買って来て、一気に、今、読み終わった。

 テレビの画面から見た著者、手嶋龍一氏の顔相と聲とは違った、手嶋氏の新しい一面を見た気がした。

 「手練れ」とも言うべき、書き下ろし作品で、小説も書くんだね、こんなに上手いのには驚いた。
内容をここで書くことでもなく、書店の店頭で見られたら分かるし、関心が有れば買われて、読めば良いと思うのだが。

 こんな人物も実際に居た、と思わせる人間が登場人物として現れてきて、虚実皮膜の如く、数時間は充分に楽しめる小説だった。

ところで、この作品は、手書きではないと感じるのだが、どうだろうか?

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2006/08/14

キューバ・カストロ議長、今日、80歳の誕生日。今、何処に?

今日、8月13日は、カストロ議長の80歳の誕生日。病床に居ると言われているが、本当はどうなのだろうか?
姿が見えない、と言うより、何故かカストロのの翳が薄いのだ。生命力が弱くなっているのだが。
 
 6月のジェノヴァ国際詩祭で、あのロシアの84歳の元気な詩人、エトフシェンコが白石かずこさんに秋にキューバに行くが一緒に行かないか、と誘った話を彼女から聞いたのだが?

 キューバに何が起こるのか?起こらないのか?
 カストロ亡き以後のキューバ。

 劼目して見守る国がまた一つ増えた。

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2006/08/13

イスラム教シーア派組織、「ヒズボラ」の事を詳しく知っている日本人は何処に居ますか?

 レバノン停戦安保理決議が出されたとしても、解決には役に立ちそうも無い。
今朝の毎日新聞朝刊の3面にアラブ・イスラムVSイスラエル、と記されているが、イスラエル・アメリカの間違いではないのか?
 「ヒスボラ」って、一体どんな組織なのか、本当に知っている日本人がどれだけ居るのか?

 8月4日付の朝日新聞朝刊、29面に、ニュースがわからん! 「ヒズボラ」ってどんな組織なの?が掲載されているが書いた記者も本当に分かっているのかどうか、疑問だ。

 と言うのも、兵士の数が5千~6千くらい。 だと言っている。6年前にイスラエル軍をレバノンから完全に追い出した「実積がある、とも。
 モサドを擁するイスラエル軍を完全に追い出したヒズボラ、ってイスラム教シーア派の組織で指導者ナスララ師に率いられている、とか。
 この指導者ナスララ師は、どんな経歴の持ち主なのか、誰か詳しく教えてくれませんか?

 屈強のイスラエル軍相手に約一ヵ月余り、持ちこたえているヒスボラ。

ヒスボラのレジスタンス運動は、東洋の島国から遠望していて、アメリカよりの報道だけでは理解不能の状況に為ってきている。
 かってのこのヒスボラの戦い方を見ていると、ヴェトナム戦争時のヴェトコンを髣髴させるものが、何処かに在る。

 今後、ロケット砲は雨が降るようにイスラエルに向けて放たれるだろう。
イスラム教徒の憎しみは、消える事が無いのだから!

 アメリカとイランの代理戦争の行く末は、予断が許さないね。

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「ヒズボラ」の事をくわhs

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2006/08/12

ライオン銀座ブラッスリー、で19日迄版画展を開催中。

 銀座6丁目のライオン銀座ブラッスリー(旧小松ストア地下)で、8月7日から19日迄、4点のオリジナル版画作品を展示中です。
 店長の小出女史が6月に開催された二人展に来られて、作品を展示したいと言われたので、二週間の個展?を行う事にしました。
この会場では10年以上前に、加藤店長のときに二度ばかり、展示した事が在り三度目の展示に為ります。
 もし銀座にお出かけの際には、是非、お立ち寄り下さい。
21日から9月2日までは、画家井口通太郎氏にお願いしました。

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2006/08/11

久しぶりに月刊「文藝春秋」を見る。9月号217頁の文化学院広告 「卒業生エッセイ」を書いたので。

 昨日(10日)、文化学院から分厚い封筒が届いた。何事かと恐る恐る開けてみると、月刊「文藝春秋」9月号が入っていて、赤い紙に掲載紙と書かれ、「ご掲載いただき、有難うございました。」と記されてある。
 そのページを開けると、すっかり忘れていた、かって依頼された原稿がポートレイトと共に掲載されてあった。

 これを読みながら1963年の文化学院入学当時の事を一瞬の内に想い出し、現在の文化学院の惨状をより鮮明に浮き彫りにした。

 創立者 西村伊作没後、初めての入学生である。その点は文藝春秋を立ち読みくだされば良いのだが、伊作の長女西村アヤと我が恩師の戸川エマ文科科長の絶妙なコンビは、現在の文化学院では残念ながら望む事が全く出来ない。
 戸川エマが西村アヤを表に出し、裏方は全て彼女が引き受けてきた。

 しかし、今、文化学院のホームページでも戸川エマの名前は僅かで、ほぼ抹殺されたままだ。
これは何を意味しているのか?

 西村伊作は教育者として失敗だった事は、現在、文化学院を衰退に導き、危機的状況を作り出した現在の院長や科長である伊作の子供や孫たちの経営の在り方や態度を見ていると、歴然としている。
全く能力が無い、無能なのに有ると過信し続け、傲慢な意識だけで学校経営が成り立つと安易に考えてきたツケが今に為って表面化してきただけで、私が在校中からなんらこの伊作の子供や孫たちに、進化は感じられない。

 教育は人間との問題であって建物には全く関係が無い。

 昨年秋、突然、理事長が変わり、その後、なんら知らせも無く、ビック・カメラが資本参加しているとか、様々な憶測が流れている。
 
 今年の2月、久方ぶりに文化学院の教職員の控え室を訪れていて、突然、「あんた銀座で何、文化学院の事を言って歩いているのとよ」と文科科長のT・Tだ。驚いたね。藪から棒にだ。こんな人物が文科の科長では世も末だね。「何を言っているのですか」と言い返すと、「言ってないのなら良いわ」とは、一体なんだねこの女は!

 自分の名前だけでは何も出来ない、人脈もお粗末、人徳も無し。
我が恩師、戸川エマさんとは月とすっぽん、の違いか!時代が変わっても科長の役割はより困難に!!
 今の学生が可哀相だね。本当に。

 そう、かって紀伊国屋書店の田辺茂一社長に、エマ先生の紹介状を持って会見し、同人雑誌「文學共和國」の費用を出して頂いた。その年の、秋の集い、の時、忘れもしない、このT・Tが「あのシブチンの茂一ちやんから、お金を出して貰ったんだって!あんたもやるわね」と突然、声を掛けてきた時の事を思い出した。

 文化学院がもう一度再生するには、西村一族が経営から全面的に退き、新たな革袋に新たな精神を叩き込む以外に方法は無い。
 既にかってアーチの在った文化学院は取り壊し中なのだから、徹底的に取り壊し、何等かの思い出などと言った感傷的なイメージなど完全に払拭してしまえば良いのだ。今日(11日)神保町の帰りに、文化学院の取り壊し中を見てきたが、あんなアーチなどもう要らないだろう。不要の遺物だ!!!
 60年代に居た講師は、今ではフランス語の江澤昭氏を除いて殆ど居ない。

 今、文化学院は水道橋の研数学館をお借りしているが、この借りたままで充分ではないのか。

 さあ、建物も経営陣も学院指導者たちも全て一新!!!

 それ以外に文化学院の再生の道は無い!!!


   戸川エマ先生は、文化学院の現状を憂い為さっておられた。
   かっての食堂の上の階段の上に立って、多くの学生に向って、何かを話し掛けておられる姿が見えたそうだ。

   戸川エマ先生には、上がっていただいた。 心からご冥福をお祈りいたします!!!


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2006/08/09

 生贄が無いと何も改善されないのか、日本は?

 一人の可愛い女の子が楽しい筈のプールで、犠牲に為った。
事故後、全国で改めて調査をした結果、公立学校や公営プール使用中止が691ヵ所も在ると言う。

 可笑しくないか、この島国、日本。

 何時の間にこんなにダメな国に為ったのか?

 6月、イタリア滞在中に藤原正彦著 『国家の品格』を読んだが、何故、こんな本が売れるのか?
『ばかの壁』もそうだが、何故、この程度の本が、何故、売れるのか?

 先日、地下鉄で次のような話が聞こえてきた。

 70年代の初頭では、電車に乗ったら、座っている人が、お荷物をお持ちしましょうか?と言いもしたし、言われもしたが、80年代に入ると稀にはあった。しかし、現代では全く、自分も言わないし、言われもしない、と言う。
 立っていた外人がアメリカもそうですよ。同じですね!、と。

 どこか可笑しくないかね、、日本は、日本人は!!!

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2006/08/07

夏は暑いのが当たり前だ!晴れた日が続けば続いたで文句を言う,勝手な事を言う人間たちだ!!!

 暑い夏だ!当たり前の話だ。夏なのだから。
7月25日に巨大なドラゴンと共に帰国して以来、日本は幸い晴天に恵まれている。
 其れを気にいらない人たちが居るらしい。勝手にしたら、と言いたい。

 では雨を降らせろとでも言うのだろうか。

雨乞いは又他の人の力だ。誰かしてあげたら良いのだ。もし出来るのなら、雨を降らしてあげたら良いのだ。

 8日、本当に雨が降ったね。台風が来ているのは知らないが、ほっと一息だね。皆さんは!!!

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2006/08/05

巨大なドラゴンと共に帰国した7月25日から日本は晴れているではないか!!!

 去る7月15日、13時05分、英国航空でドラゴンと共に去り、25日11時15分にベネゼエラから帰国するまで、日本の気象状況はどうであったか、思い出してみれば良い!!!

 日本だけではない、韓国、中国と気候は荒れていたのではないのか?

 巨大なおとなしい綺麗な、黄金色のドラゴンが日本を留守にすると、天竜川が決壊し、鹿児島地方の水害と災難が続いていたのではないのか?

 ベネゼエラの太陽を沢山、浴びて益々巨大に為った美しいドラゴンが、今はこの国を守っているから、良い天気が続いていて、夏らしい夏の気候なのだ。

 晴れて真夏らしく、暑ければ暑いと文句を言う!!!

 勝手な奴らだ!!!

 真夏は暑いのが当たり前だ!!!

 こんな暑さで倒れるようでは、これからの自然淘汰に勝つ事は出来ないぞよ!!!

 この世の自然淘汰ぞよ!!!

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2006/08/04

日本人が同胞を見捨てた!ドミニカ共和国移民問題での政府の対応は。

 50年前、言葉も出来ない異国の荒地に放り出されて、その結果の見舞金が50万円~200万円。
最低でも桁が一桁違うのではないか!
お金の問題では無いが、日本政府が、移住者に対しての誠意を示すのは唯一金額しかないだろう。

 福井日銀総裁にはこの移民の人たちの爪の垢でも飲ませたいものだ。

 取って置いた首相談話が掲載された新聞が何処かに行ってしまったので、詳しく正確には言えないのだが、高齢者、及び困窮者支援や日本人社会の拠点作りなど誰が、どのセクションで遣るのか、はっきりしてるのだろうか。
それはドミニカと東京に出来るのか?何時に?

外務省の役人の中で、こんな地味な仕事を誠実に遣れる人物などそうざらには居まい。
 麻布飯倉のワイン貯蔵庫で飲んだ呉れているのが大好きな者たち。
 どうもこれらの移民対策は永続性が無いように思うのだが、如何かな!

 50年前、在った本当の話。
このドミニカ移民に関った外務省の役人を始めとして、全ての関った人物の名前を移住者代表の嶽釜徹氏らは、公表したらどうだろう。

 さぞご無念であった事だろう!

 満足に謝罪も出来ない日本政府。小泉首相も現地を見たら良い。プレスリーの物真似をして、世界の顰蹙をかう間が有るなら、この夏休みに、自らが行くべきだろう!

 其れが本当の誠意ある謝罪だ。

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2006/08/01

海外の国際詩祭に参加して10年、16回目で初めて在外日本大使館員が来場。驚くべき出来事だ。

 今回のベネゼエラでの第3回カラカス国際詩祭にて、初めて在外ベネゼエラ日本大使館員が開催された客席数2300余りのTeresa Carreno Sala Jose`Ribas劇場の大ホールに姿を現した。

 在外ベネズエラ日本大使館文化班の河本秀夫氏である。 これは劇的な事件である。
数多く海外で開催される日本人の展覧会なり、公演であっても、日本大使館員が出席したと言う話は、友人の間でも残念ながら全く聞かない。
 酷い例は、2000年のセネガルで開催された第3回ダカール国際詩祭で、主催者から、お前の国の大使館はおかしいと詰問された。
それはこの国際詩祭の開会式に招待状を出したが、出決席の返事も寄越さない。随分失礼な話ではないか、と。
1997年の第7回コロンビア・メデジン国際詩祭に初めて世界の舞台に踊り出て以来、この10年間で15回の国際詩祭に出たが、1度たりとも日本国の大使館員が会場に姿を現した事は無かった。
 友人の天才彫刻家イヴ・ダナのオープニングパーティにスイスのローザンヌには、アメリカ大使が、ヌーシャテルのオープニングパーティーにはエジプト大使が姿を現しているのを見たし、実際に彼らと話もしたものだ。

 日本の外交官の中でアートに関心のある人物は存在するのだろうか?
知的に程度が低いのか、ヤル気がないのかのどちらかだろう!

 さて国際詩祭の初日、2300客席の会場で、世界から招待された26人の詩人の内、唯一人、マイク無しでのポエムリーディングを行った。
舞台監督をはじめとして関係者が危惧したのだが、こんな小さな場で何を危惧するのか私には全く判らなかった。

 いや、気持が良かったよ!拍手、喝采がね。

全ての朗読が終わった後、会場の外に出て、初めて日本大使館の河本秀夫氏に会った。
近く一緒に昼食にでもと、再会を約して別れた。

 翌日18日は自動車で1時間余りの Estado Miranndに。
会場は野外で、先があるので、マイクを使うことを決断する。ポルトガルのカシミーロ・ブリトー、メキシコのマリア・バランダの三人と現地のベネズエラの詩人6人。
 
 19日は飛行機で1時間余りのEstado Trujillo。プエルト・リコの詩人 デヴィット・コルテスと二人に、地元の詩人が6人余り。私の詩の朗読の最中に電気が突然消えた、いや消されたのかも知れなかった。
ベネゼエラの隠された国情が垣間見えた一瞬だった。
お土産は28冊の本。(重さが5,6Kgは在る) これが最後まで悩ませられる事に為った。

 20日は唯一の何も無い日だったから、美術館に行ったり、ドイツのトビアス・ブルッフエルトたちの朗読を聞いたりしてのんびり過した。
 21日、この日にベネズエラの国立美術館の館長に会う事に為った。
何故かと言うと、私のオリジナル版画集『Letter Scape』が美術館の公式コレクションに為るかどうかの話し合いだったが、スンナリと決まった。
 今夜は客席900人余りの小ホールでの、アジアと中東、と題された朗読会が在るからだった。
もうマイク無しで遣ると言っても、誰からもクレームはつけられなかった。
読む順番でひと波乱があったらしいが、後で知ったことだったので、不問に付す。

 「アジアと中東」と題された日本、中国、イラク、レバノンの詩人たちを中心にした今夜は、レバノンの女性詩人Joumana Haddadが空港が爆破された為、飛行機が飛ばず、参加が叶わなかった為に、朗読会の冒頭、地元の女性詩人が代読した。
三編の詩を朗読しましたが、大変な歓声で、観客はスタンデングオベーション、大使館からの花束も頂いて、日本の面目は無事に立ちました。

肉聲の力はこれから効いて来るのですよ。恐ろしい事です。

 22日は本当なら何も無いのですが、ベネゼエラ政府が高い旅費を(約50万円)払ってまで招待してくれたので、その好意に対して報いる為にも、何時でも読みますよ、と告げていたのでこの日、あさ5時に起きて、飛行機に乗ってEstado Portuguesaに行った。
 行って良かったのだ。コロンビアの詩人Nicola`s Suescu`nだけで、キューバとオーストラリアの詩人がキャンセルしたからだ。
 このポルトゲスでは、初めての国際詩祭だとか。

 こういう貧しい国でも国際詩祭が出来るのに、経済的に豊かだと標榜している日本で、何故、国際詩祭が開催出来ないのだろうか。
 不思議で為らない、事の一つだ。

 今後、このカラカス国際詩祭はコロンビアのメデジン国際詩祭を目指して頑張るとか。
これからのカラカス国際詩祭の動向が楽しみだ。

 アルゼンチンのロザリヲ国際詩祭、イタリア・ピストイア国際詩祭が中止されたとか。
 
日本にはこれらの情報は全く入ってこない。 本当に井の中の蛙、だ。

 残念ながら、未だ鎖国状態なのかも知れない。


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