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2006/03/11

イラク経験者で自殺5人=陸・空自派遣2年間ー防衛庁、を読んで。

 今朝、何気なくYAHOO!ニュースを見ていて、(時事通信)-3月11日6時3分更新、を読んで、来るべき恐ろしい時が訪れ始めた事を知った。

 政府関係者によると、2004年1月から今月10日までの約2年余で、陸自4人、空自1人の自殺者が出てた、とか。
 これまでイラクに派遣された隊員は陸自が延べ5000人、空自が1600人に上がる、と言う。
 防衛庁は「自殺の原因を特定する事は困難で、イラク派遣が原因になっているかどうか分からない」としている、と言う。
 では防衛庁は、派遣された約6600人の内、妻帯者が何人で、その内、帰国後、離婚した者が居るか、居ないか?居るとすれば何組か?もしかしたら離婚を考えている隊員は現在、どの位居るか?
防衛庁は把握しているだろうか?

派遣された隊員の帰国後の心理テスト、面談に依る聞き取り、等を行って来たのだろうか?精神面のアフターケアは行われたか?
自殺者が出ているところを見ると、されていないのではないか?
派遣された隊員の1パーセントに相当する70人余りの人間が自殺し、1パーセントの妻帯者が離婚に為れば、派兵はすべきで無かった事にやっと気が付くのかも知れない。

もし既に離婚した人間が居るのなら、どの位の数なのか是非教えていただきたい。
 今後、益々、派遣隊員の離婚数は増えるはずだからだ。

自衛隊の海外派兵など日本は絶対にすべきでなかった。ブッシュの犬とフランスの新聞に揶揄された為政者を選らんだ国民の民度の低さが問題だ。

 庁から省など、論外なのだ。
談合問題、情報流失だけでは無い。既に隊員の心の内部から、自壊作用が始まっているからだ。

さて、 幾ら民度が低い国民と言われているのも、もう程ほどにだ。

 チルドレンを国会議員にしている国は、日本以外に無いだろう!!!
 テレビで話していた山本晋也監督でなくても、今後、海外で問われた時説明するのに困るのは、日本を背負って立っている人間たちだ。

 もう誰もが、眼を覚まし、主権者が国民で在る事をはっきり自覚する時が来た事をしる時だ。

 風を吹かそう!!!

 覚醒への強い風を!!!


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2006/03/08

有元利夫(画家)さんから贈られた画集の謎。

  直に夫人の画家で陶芸家の有元容子さんに訊ねてみたがやはり謎だった。

 この6日、月曜日の午後、銀座の画廊を巡り歩いて、77ギヤラリーに立ち寄った著つた。
そこに、彼女の作品を購入したコレクターと共に居た有元容子さんに会った。
暫らくして誰も居ないのを幸いに、永年の謎について訊ねてみた。
 
 それは有元利夫が亡くなったのが1985年2月24日、38歳だった。
その亡くなる数日前に、私の家に作品集『女神たち』(1981年美術出版社刊)が、何も書き記されずに紙袋に入って届いた。
 何故、今頃に届くのか解らず、不審には思ったが問い合わせもせずに居た。
数日後に贈り主の訃報を聞き驚いたが、誰にも聞く事は出来なかった。
何れ何処かで容子夫人に出会った時に訊ねようと思ったが、中々出逢わず、早いもので21年の歳月が過ぎていた訳だ。

 直に容子夫人に尋ねてみても謎は解けないままだ。
 何故、最晩年に贈ってくださったのか?
 かって彼にインタヴィューしたり、原稿を依頼した事が有るからではあるまい。
 依頼した文章は、『もうひとつの空ー日記と素描ー』(新潮社刊、1986年)に収録されている。

 銀座のみゆき画廊で顔を逢わせる度に、体がだるい、腕の付け根が痛いとか、彼が言うものだから、早く一度しっかり医者に診て貰ったらと、幾度と言ってあげていたからか?

 謎は未だ謎のままだが、何故かを考えるのは楽しい事だ。

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2006/03/05

日本国憲法の「天皇」起草 プールさん死去 86歳(毎日新聞2月28日夕刊ヨリ)

 あの私の「聲」の命名者、ジュリアン・プールさんの御主人が亡くなったのだ。

 去る2月28日付の毎日新聞の夕刊を見ていたら、顔写真入で、死亡記事が出ていた。
このリチャード・プール氏には、一度だけお会いした事がある。
それは忘れもしない、1987年9月、アメリカのケネディ・センターの副館長として、日本の財界等にに資金援助の依頼に来日した夫人のジュリアン・プールさんに同行して、何の偶然が差配したのか、京都へ行くまでの1日だけぽっかり空白の時間が空き、多摩美術大学の渡辺教授がご案内して、銀座の今は無い日辰画廊で、その日が、初めて「聲」だけで表現する試みを行った即興朗唱作品、NO1「魑(スダマ)」誕生の場にプールご夫妻は立ち会ってくれたのだ。
 その会が終了後、二次会を持った有楽町の「炉端」の三階に行った。そして帰り際に、誰も居なくなった時、ジュリアン夫人が、テンドウ、二次会に参加したのは初めてです。
 あなたの聲は、UNIIVERSAL VOICE。もしアメリカで何かやるときには連絡して下さいよ、協力するからと。
傍に居たアメリカ人が、ハリー来航の三世です。函館に来ましたよ、と日本語で突然、話しかけられたので、ビックリした。この温厚な紳士が彼女のご主人なの?何をしている人なのかと思い巡らした事を昨日の如くはっきり覚えている。
 その後、プールご夫妻は、来日し帝国ホテルに宿泊されるたびに、炉端に立ち寄られたらしい。
 数年前(2005年でした。)、ふと夜遅く、炉端に立ち寄ったら、さっきプールさんが寄ってくれて、テンドウは元気か?つて訊ねていたよ。恐らく、帝国ホテルだから連絡してみたら、と言われた。
今夜はもう遅いので、明日朝にでもと思い、翌朝、9時に帝国ホテルに電話をした。暫らく待たされた後、10分前に車が来て発たれました、との事だった。
 何故、来日したのかと不思議だったら、謎は直ぐに解けた。

 2000年5月、参院憲法調査委員会に招かれ、起草の過程などを証言した、と。
その為に来日した時の事だったのを知った。

 これは2月28日付 毎日新聞夕刊の死亡記事を見て、感じた事だ。
 名付け親の御主人が亡くなったのだ。
 プールさんはどうしているだろうか?
 お元気なのかな?

 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 
                 天童 大人

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