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2006/06/03

イラク・ハディサ住民、虐殺事件が、今、明らかになり始めた。

 「タイム」詩の記者が、虐殺された住民たちを撮影したビデオの映像を、説明しているのを5月下旬に、偶然、衛星放送で見た。其れが昨年、11月19日、バグダッド北西の町、ハディサで行われた住民虐殺の動かぬ証拠映像だった事になる。
 もしこのビデオ映像を、タイム誌の記者が取り上げて、精査しなかったら、米海兵隊の隠蔽工作を見抜けなかった事になる。
 巻き添えか、意図的かは分からないが、虐殺した後に、空爆で隠蔽する。しかし、ばれてしまうんだね。
 こうして殺された家族住民の関係者は、間違いなく、恨みを持ち、反米になる。
日本の国民のように「水に流す」という考え方は、イラク国民に限らず、イスラムには通用はしないだろう。

 戦争の末期症状とは言え、殺される側は何時の時代も、不条理な事だ。

 無知な米大統領と無知な日本国首相との蜜月の5年間は、両国民にとって、空白の不幸な時代だったと後世に語り継がれるだろう。
大統領と首相を選んだ民度の低い国民達だったと。


 ブッシュ、チェイニー、ライス、ラムズフェルド、アシュクロフトらネオコン集団に銃を持たせ、引き金に手を触れさせ、さて銃口は何処に向ってるのか?

 もつと隠蔽されていた虐殺事件が続々明らかにされてくるだろう。

 アメリカ軍は早期に撤退せよ!!!
 
 無駄な殺人をこれ以上犯す前に!!!

 イラク開戦後、今迄、何人の無辜のイラク国民が殺されたのか、実数を公表せよ!!!

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2006/06/02

”盗作疑惑”ではなく、はっきり”盗作”だろう!

 今朝(2日)のテレビ番組「みのもんた朝ズバッ!」で、渦中の画家、和田義彦の数年間の作品を並べて眺めてみれば、一目瞭然、盗作は明らかだろう。
相手のイタリアの画家アルベルト・スギの家を訪れて、スギ氏の作品を撮影して帰って来ている事を知ると、何も言う事は無い。
何故、発覚したのか、この事件の経緯は旅行中の為、知らないが、見知った限りでは、限りなく盗作だ。

 この芸術選奨文部科学大臣賞の選考委員は誰だ?文化庁はスギ氏に告訴される前に、選考委員を明らかに出来るだろうか?
答えは、ノン、だろう。
しかし、もしスギ氏が告訴したら明らかにせざろうえないのではないか。
またしても外圧に依って選考の図式が明らかにされるのだろう。
 無知な首相の構造改革も、文化・藝術には部外漢であれば、止む得ないのかも知れないか。
さて久しぶりに聞く、盗作、と言う言葉。
画家・平山郁夫にも何年か前に、盗作疑惑があった。

この和田義彦なる御仁、早く、謝って、素直に認めた方が良い。

 さて13日の第4回フィレンッエ国際詩祭、15~17日までの第12回ジェノヴァ国際詩祭で、この話題が出るのか、どうか、変な楽しみだ。
 でも間の悪い時に、事件が発覚したものだ。イタリアに行く直前に。
 日本人はすぐコピーする、と再び言われないようにしなければね。

 同業者、同分野の人との交際には充分、気をつけないとね。

 皆さん!!!

 充分、ご注意を!!!

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2006/05/31

ファンファンこと、岡田真澄さんが食道ガンで亡くなったと! 70歳!

 旅先で訃報を聞きました。驚きました。食道ガンで亡くなったとは、意外でした。
彼に会ったのは1960年代の後半。私のプロフィールをクリックしてくださると、書き記していますが色々な人に引き合わせてくださいました。
 ラジオ番組で一緒になり、番海終了後、反対側からつかつかとやって来て、君は何をしているの?と声をかけてきて、2,3日後、六本木のキャンティで待ち合わせでした。行って見ると見知った顔がありました。なんだ貴方の事か、フアンフアンがね、色々話していた人が。
 あの頃のキャンティは文化人の溜まり場でした。様々な人が居ました。会いました。しかし、詩人は居ませんでした。芸能界の人が中心でした。福田恒存さが主宰する劇団「欅」が誕生する以前でした。
フアンフアンにキャンティで紹介された人と言ったら大勢居ます。でも2,3年の時期で、70年安保の前の事。
1972年にヨーロッパに向けて、密かに旅発つ前の事です。
 不思議に2年余り滞在したヨーロッパ生活を終えて帰国してからは、何故か全く接点はありませんでした。
どうしてでしょうかね。

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聲ノ奉納 in 対馬・和多都美神社、17年目、無事に終わりました。

 今年の対馬行きは天候調査が入り、出発時刻、9時20分になっても、飛ぶか飛ばないかは不明でした。
もし欠航なら10時10分、博多港から対馬行きのジェットホルに乗らなければ間に合いません。字敏も確実に飛ぶとの保証は有りません。結果が出たのは9時40分、欠航です。すぐさまタクシーを捕まえました。これが運悪く年配の運転手さんでした。ふとある不安が過ぎったのですが、時間が無いので打ち消して乗りました。
 今回の同行者は昨年に引き続き、熊本のH女史と久留米のN女史のお二人です。
 都市高速に乗り、出口付近でよもやの追突事故!
いや~、肝を冷やしました。時計を見ると10分前です。相手方の運転手さんが良い方で、話し合いは後にして頂いて、ともかく対馬を目指しました。
対馬へは2時間。久方振りの乗船でした。大勢を引き連れていては、こんな短時間での移動は無理でしょう。
何故か今年は熱心に誘いはしませんでした。
タクシーの中で、対馬の吉永レンタカーから電話が入りました。厳原に車を廻すように手配しました。
全日空の切符を手配したところから、運行取りやめたがホテル、帰りのチケットは如何するか、との電話が有りました。行きだけ駄目なだけで、今、ジェットホイルで対馬に向っていると知らせました。
  あの空港で、今年の奉納を取り止める事も出来ました。
これは何処かで、神様のお試しだよ、と言う声が聞こえたような気がしました。過去、17年間でジェットホイルで対馬に向うのは3回目です。
 幸い乗車券、三枚分は有りました。
すぐ乗船、出港です。今日の玄界灘はとても穏やかでした。
2時間後、到着した対馬は雨でした。
顔見知りのレンタカー屋さんはすぐさま待機していた車にまで誘導してくれて、すぐさま和多都美神社、目指して出発です。
目指すは豊玉町の波多野文具堂です。アサヒビールの友人から頼まれた5月30日発売の新製品「アサヒ ぐびなま」(これは良いネーミングです)。これを和多都美神社に奉納するのです。ある願いを込めてです。!
 これから食事です。ここ3年余り食べている某寿司屋さんです。
簡単な腹ごしらいを終えて神社に向います。雨は上がりました。
神社前には、既にY新聞の記者T氏が居ました。彼とも十数年です。
なんと言っても17年目。生まれた子供が居たら高校生ですよ!!!

そこでT氏から初めて前日も飛行機は欠航だった事をしりました。

 一の鳥居までは所々に、小さな牡蠣が海底で在った場所に残っていました。既に干潮で歩いて渡れます。
曇り空ですが、雨は既に止んでいました。釣り人の親子が一組居るだけで、静寂が満ちていました。

 さあ、時間です。14時41分、聲を出し、始めました。

 もし福岡空港で対馬行きを断念すれば、17年目は無かったからだ。止める事も続ける事も自分の意思。
誰に頼まれた訳でもない。この小さな水の惑星が大好きなのだ!
だからこの母体を傷つけている者たちに対しては、誰であろうと許しはしないのだ。

 キッキ・マニトウがね。(続く)

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