友人の一人から電話が有った。写真家・アリモト・ヤヨイって、・・・ もしかしたら客室乗務員していた?と。
何を言ってるのか分からなかったが、書店に行って見て、実物を見て、初めて友人の話が分かった。
写真評論家・飯沢耕太郎が選んだ今年、注目する5人の新鋭写真家5人。
その内に在本彌生が選ばれていたのだ。
在本彌生、彼女のページには、「ある乗客の薦めによって写真の道へ・・・・」と記されている。
そのある乗客とは、この私の事なのだ!
在本彌生に初めて会ったのは、成田発ミラノ行きアリタリアの機内の中だった。
窓側の席に、銀座・ヤマハを休職してフィレンッエの語学の勉強に行く女性がいた(これは後で分かった事なのだが)。一つ空いて通路側に私が座った。
機内サービスをしている女性の顔が余りにも無愛想で驚いたくらいだ。これが在本彌生を見た最初だった。
最初の食事が終わり、ヤマハの女性と話をしていた。フィレンッエには1年後輩の女性がイタリア人と結婚していて、もう30年以上も住んでいた。
何が切っ掛けで在本と話したか、もうはっきりとは分からないが、「そんな無愛想な嫌な表情でサービスするなら止めたら」といったと思う。
その頃、彼女は色々な問題を抱えて悩んでいたのだと思う。
その頃、私は詩人・エズラ・パウンドの天才を発見したひそみに倣って、天才を発見したい、と熱望していて、若い彫刻家・イヴ・ダナの「天才」を一冊の書物から発見した直後の事だった。
毎日新聞に私が書いたイヴ・ダナの記事を在本に見せたのではないかと思う。
ミラノでの用事を無事に済ませ、帰国してから、二、三週間経ってから、在本から手紙が来て会った。
その時、色々と話を聞いた後、彼女の行動力、航空会社に勤務で海外には自由に行き来できる事も考え「写真」を撮る事を強く薦めた。
直ぐにCanonを買って来たので、Nikonに買い替える事を薦めた。もし海外で売る事を考えたら、Niconの方が高く売れると。
それから暫らくして、友人がライカのM6をレンズも付けて売りたいと言うので、在本に買って貰った。
そのライカのお蔭で、アルゼンチンでピストル強盗に出会った時、ライカを取られた代わりに命が助かった、と後日、報告が在った。
ともかく、写真家への道筋をつけたのは私だと、在本彌生が、今でも忘れずに居る事は嬉しい事だ!!!
何故、在本彌生に「写真」を薦めたのか?
それは私の「直識」だ!!!
これからも頑張って下さいな!!!彌生さん。