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2007/01/05

戸川エマ 生原稿 「純真」(昭和37年11月号)いづみ編集部所蔵、を入手して、今、考える事。

 閉じられた原稿の表紙には昭和37年11月号と書かれている。
この文章は1962年に書かれていた。
それは私が文化学院に入学する為、面接試験を、戸川エマ、二戸田六三郎、両先生に受けたのが1963年の2月か3月だから、書き出しの、「数年前のことである。私は病院のベットで二週間すごした。」は50年代の後半、西村伊作がご存命中の時になる。

 面接の時が戸川エマ先生との初対面。
 綺麗な和服姿の女性で、聲が綺麗で、メリハリのはっきりした顔は美形だった。お隣りに二戸田先生が居られたから、余計に感じたのかもしれない。

 この文章が掲載された「いづみ」と言う名の雑誌は、今までに聞いた事が無いが、日本女性文化協会と言う団体から刊行された雑誌らしい。

文化学院の存続が危ぶまれている時に、エマ先生の肉筆が入手する事が出来るとは!!!

 戸川エマ先生は、今、何を我々に、伝えようとしているのだろうか?

 文化学院の経営母体が代わった事をも含め、何故、このような事態を引き起こしたかを明確に、現理事長の山科誠為る人間が卒業生全員に説明しないで、寄付金募集をするなら、新手の振込み詐欺、まがいの行為と言われても致し方ない事であろう!!!

 今こそ、戸川エマ先生に尋ねてみたい!!!

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