戸川エマと森茉莉はどういう経緯で知り合ったのだろう?と出ているよ、とGI女史が知らせてきたので・・・
早速、ブログ「森茉莉街道をいく(長谷川時雨+)」を見てみた。
この筆者には一度お会いした事がある。
戸川エマが英文学者・戸川秋骨の長女で、慶應義塾大学の三田文学関係を含め、様々な人脈は豊富。
その頃、エマ先生は文化学院では文科科長で、読売新聞の身の上相談の担当者でもあった。
お茶の水・駿河台下に筑摩書房が在るのだjから、『父の帽子』を出した昭和32年には、当然、小川町のエスワイルで、担当の編集者に逢っていたに違いない。もしかしたらその編集者は詩人の吉岡実さんだったかも知れないのだ。
私が在学中には、森茉莉に会った事の話は、一度も聞いた事が無いのだが。
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