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2007/12/31

再び、森茉莉街道をゆく(長谷川時雨+)さんへ

 森茉莉さんが、かって貴方と同じように、この本も、他に私の著書を全て持っている人が居たと、『マドモアゼル・ルウルウ』初版本を触りながら、話してくれたのは、あの倉運荘で、三島由紀夫の自裁されたあとの事。

 だから1971年の早い時期だった筈だ。

 須永とは言わなかったが、もう一人が須永朝彦氏なら納得できる話だ。

 この時の事を神奈川?恐らく横浜のタウン誌に、1ページ分、エセイを書いているのだが、タウン誌の名前も、コピーも何処に行ったやら不明のままで、全集にも入っていない。

 森茉莉全集も、私に戸川エマと森茉莉との事を書かれたブログを教えてくれたGI女史に譲る事に為った後の事だから、不思議な事だ。

  亡くなった白川宗道氏が持っていた、森茉莉関係の書物は、今、何処に有るのだろうか?

 私も茉莉さんが署名してくださった森茉莉署名本が、全て何処かに隠れてしまって、未だに発見できないで居るのだ。

  1972年から2年間、1975年から2年間、ヨーロッパに滞在していたのだから、本が何処に消えたのか、もう分からないのだが、元気に息づいているのは分かる。
 ひょつこり、何処かからか、出てくるだろう、何れ!!!

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