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2008/02/16

音楽評論家 吉田秀和著『文学のとき』(白水uブックス、白水社刊)を、ふと古書店で、手に取ってみたら・・・、あのエセイ、中原中也のこと。吉田一穂のこと、が掲載されていて・・・

 この小さな新書版のuブックス・シリーズに中に、エッセイの小路、シリーズがあるのは知らなかった。

 1994年9月の発行である。本を捲って、目次を見て、驚いた。

 エセイ 吉田一穂のこと、(『文藝』1970年3月号掲載)、このエセイを文藝誌上で読んだ二年後、ご本人にお会いする事に為るなど、全く、予期していない出来事だった。
 吉田一穂は1973年3月1日に亡くなっている。

だからこのエセイ吉田一穂のこと、の最終章6、を短いので引用してみよう。

             6

 「私は、高校に入る前の学校時代の四年あまりを北海道の小樽市ですごした。あの凍りついた雪の上を踏む靴の感触、雪の白さ、風の非情な冷たさ、それから雪どけの早春の波と空と遠く見える海岸の淡い緑のイメージなどは、いまも、私の中から消えていない。だが、それが私にとってどういう意味があるかということ、それを思うことは、私には、吉田一穂さんと切りはなすことのできないものになっている。
 根元を問うこと。本質だけを追求すること。そういうことは、私には、ちょうど粉雪に頬をさらし、白く眩しい雪の原をゆくのと同じように、快い戦慄にみちた営みと感じられる。この感覚は、私の場合、吉田一穂さんを知ることによって自覚されたものである。
 冷たさが、生命を守る。暖かさの働きは別のところにある。と同時に、結局、私たちが還ってゆくのは、暖かさではなくて、むしろ冷たさへであろう。
 今でも私は、雪の中を行く時とか、ふとしたはずみで自分が北に向かって立っているのに気づく時、しばしば、一穂さんを想う。」

 これを読んで直ぐに、小樽駅裏の三角山の麓の陽を浴びて輝く雪道を、歩いて西陵中学校に通った日々を、直ぐに思い出したものだ。

 この時、吉田秀和は何に触発されて、吉田一穂の事を書いたのであろうか。

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