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2009/04/18

『田中清玄自伝』が、ちくま文庫に入って居たのを見つけた!!!

 清玄さんが文庫に?可笑しいね。あの田中清玄が文庫に入る時代かね、今は。

田中清玄のこの自伝が読まれ、若者たちに知られる事は、非常に良い事だ。

『田中清玄自伝』の初版が文藝春秋からインタビュー大須賀瑞夫で刊行されたのは1993年9月10日。

田中清玄が亡くなったのは、1993年12月10日。

『世界を行動する』(1983年4月11日 情報センター出版局刊)

『統治者の条件ー日本人は何をなすべきか』(1983年10月8日 情報センター出版局刊)

『食べる楽しみ 生きる喜び』小西原昭編者(1992年10月12日 講談社刊)には53頁から76頁まで、小西原のインタビューを受け、田中清玄は話しているのだが、何故かちくま文庫版に添付された関係略年譜(太字は本人に関する事柄)と断りながら、書き込まれて居ないのは何故なのか非常に疑問に思うのだ。

まだまだ田中清玄の引き出しは沢山有り、1969年頃、田中清玄さんとは、俳優・岡田真澄さんの紹介で六本木のキャンティで出会い、即座に、獄中の時のこと、スカルノのこと、等など沢山、聞いた事も無い話を話してくれた後、三島由紀夫君も石原慎太郎君も私の自伝を書きたいと言ってくれて居るが、君が私の自伝を書いてくれないか、と頼まれた。何をこの伯父さんは言い出すのかと思ったものだ。
その時、相談した国文学者の加藤守雄先生と作家の桂芳久さんに、右翼の親分の自伝を書いてどうするのと言われ、それもそうだなと思ったものだ。
その話の後、また幾月か経って、薄暗いキャンティの階段でばったり出会うと、微笑みながら連れの電通の人に、この人はね、吉川英治見たくなるんですよ、と紹介して下さった。
清玄さんの口から、何故、吉川英治、と言う名が出て来たのか、未だに分からない。
 またある時には、キャンティで美女との食事中に出っくわしてしまい、招き寄せられると、席に居た美女は宝塚のトップスターで、これまた紹介をしてくれたものだ。

田中清玄は、ダンディーだった。いま生きていたら、今の20億円の損金を出した経団連会長など、歯牙にもかけないことだろう。

こんな人間が、今の時代に一人も居ないのは残念!!!! 

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