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2009/05/23

[道理は通っても無理は通らぬ]とは、哲人文相・天野先生を訪問する度にお聞きした教訓であった。 で始まる父親のエセイが数編集めた小冊子を見付けた。

 その文の続きのなかで、
[中略/中川氏(一郎)が、自殺のする三日前に、日本一と言う易者の門を叩いている。易者は、半年早く相談に来て居たら、総裁選に出馬させなかつたのだが、こんなことをしていれば、日本も、自民党も駄目になると、厳しく中川一郎氏の自省を促したと言われる。] [創業百年のすぎし想い出集 4頁]

この日本一の易者とは誰の事か????

今でも御存命なのだろうか?

こんな事なら、生きているうちに、父親に訊ねて置けば良かった。

小樽から上京する度に、吉祥寺の天野貞祐先生宅を訪ねて居たらしい事が、この小冊子から知ることが出来た。

その伏線があって、中等部三年から、単身、上京し独協学園中等部三年に編入学する事に為るのだ。


ところで中川一郎の死は自殺では無い、と北海道では言われ続けていたし、私は今でもあれは殺人事件だと思っている。

あの時の総裁選の中曽根・安倍・中川のうち、おばちゃん連中に受けがいいのは、誰だと思う?と言われたのは国文学者・加藤守雄先生。

中曽根の聲が良いとおばちゃんたちは言っていると、教えてくれた。

おばちゃんたちとは、加藤守雄先生が、長い歳月教え続けていた『源氏物語』の教室のご婦人がたの事だ。

結果は、中曽根康弘の勝利!聲の勝利だったかも知れない!!!

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