« 岡倉天心が「龍は嵐の雲にのっては自らを解き放ち、沸き返る波の暗黒の中にたてがみを洗う。その爪は雷光のように裂け、その鱗は雨に洗われた松樹の肌のように輝き始める。その声は疾風の中にきこえる。」と書いているよと、龍仲間が知らせてくれた。 | トップページ | 今、この時期に尾崎行雄『民権闘争七十年』(読売新聞社 1952年刊)を取り出して、読むと面白いぞよ!やはり福澤諭吉が「猿に見せるつもりで書け、おれなどはいつもそういうつもりで書いている。が。世の中はそれで丁度いいのだ」と言われている。今でもなんら変わりがないのではないのか? »

2010/12/30

西荻窪の数寄和から、2011年1月29日(土)午後4時開園の第594回プロジェクト「La Voi x des Poètes(詩人の聲)」天童大人の案内状が届いた。「肉聲は 裏切らない 天童大人」に雅号印の朱を加えて、お送りすることにした。

 西荻窪の数寄和での私の初めての聲の撃ち込みは1月29日(土) 開場午後3時半 開演4時と変則的だ。

数寄和では田中庸介(二回)・白石かずこ・稲葉真弓・平田俊子とプロジェクトが5回、岸田憲和オーナーの協力で、開催された。

墨で書かれた文字に、魔除けの朱をさす!

新しい空間と場の力とで、聲がどう動くのか?楽しみな事だ!

|

« 岡倉天心が「龍は嵐の雲にのっては自らを解き放ち、沸き返る波の暗黒の中にたてがみを洗う。その爪は雷光のように裂け、その鱗は雨に洗われた松樹の肌のように輝き始める。その声は疾風の中にきこえる。」と書いているよと、龍仲間が知らせてくれた。 | トップページ | 今、この時期に尾崎行雄『民権闘争七十年』(読売新聞社 1952年刊)を取り出して、読むと面白いぞよ!やはり福澤諭吉が「猿に見せるつもりで書け、おれなどはいつもそういうつもりで書いている。が。世の中はそれで丁度いいのだ」と言われている。今でもなんら変わりがないのではないのか? »

ウェブログ・ココログ関連」カテゴリの記事

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

おすすめサイト」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

現代詩」カテゴリの記事

文学」カテゴリの記事

La Voix des Poètes」カテゴリの記事

詩人」カテゴリの記事

朗読」カテゴリの記事

詩集」カテゴリの記事

朗読会」カテゴリの記事

展覧会」カテゴリの記事

企画画廊・貸し画廊」カテゴリの記事

オペラ・歌舞伎」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 西荻窪の数寄和から、2011年1月29日(土)午後4時開園の第594回プロジェクト「La Voi x des Poètes(詩人の聲)」天童大人の案内状が届いた。「肉聲は 裏切らない 天童大人」に雅号印の朱を加えて、お送りすることにした。:

« 岡倉天心が「龍は嵐の雲にのっては自らを解き放ち、沸き返る波の暗黒の中にたてがみを洗う。その爪は雷光のように裂け、その鱗は雨に洗われた松樹の肌のように輝き始める。その声は疾風の中にきこえる。」と書いているよと、龍仲間が知らせてくれた。 | トップページ | 今、この時期に尾崎行雄『民権闘争七十年』(読売新聞社 1952年刊)を取り出して、読むと面白いぞよ!やはり福澤諭吉が「猿に見せるつもりで書け、おれなどはいつもそういうつもりで書いている。が。世の中はそれで丁度いいのだ」と言われている。今でもなんら変わりがないのではないのか? »