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2010/12/20

「海外の公演というのは、まるでトーナメント戦を戦う格闘技の選手のようなもので、失敗したら、もう誰も何処も呼んでくれなくなるのだ。/中略/東アジアの片隅から国境を超える者は、いつでも戦い続ける戦士でなけらればならないのだ。」と演出家の蜷川幸雄さんが、著書『千のナイフ、千の目』(紀伊国屋書店刊 1993年)の中で書いているのを見付けた!これは国際詩祭でも同じ事だ!

 ふと古本屋の棚の中に在った『千のナイフ、千の目』(紀伊国屋書店 1993年刊) を読んで見て、良く分かるのだ。

先日、詩人白石かずこさんのお祝いの会の席で、隣に座った現代詩手帖の前編集長のT氏が、「ドイツに居る詩人のY氏が、世界の国際詩祭に行って、知っている日本の詩人は、誰かと、尋ねると、テンドウ・タイジンと言う詩人が多いそうだが、何故なのか」と尋ねてきた。

これは先の蜷川幸雄さんの言葉と同じで、トーナメント方式だと考え、圧倒的な聲ノ力で、多くの詩人に、聲の記憶に残っているからだ、と答えて置いた。

国際詩祭で、マイクロホンに頼って聲を出しているようでは、次が、先が無い、のと同じ事だ。

勿論、コロンビアのメデジン国際詩祭のように、世界最大の国際詩祭で、四千、五千、六千人以上入る野外劇場では、マイクが必要だが、2400人位の劇場なら、肉聲でも大丈夫な事は、2006年のカラカス国際詩祭での大劇場で、経験済みなのだ!

ともかく、小手先は不用!

ひたすら、聲を日本の詩人には出し続けて、自分の聲を立ち上げて貰いたいものだ。

その為のプロジェクトでもあるのだが!!!

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