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2010/12/29

ライナー・マリア・リルケがパウル・クレーと同じ建物に住んで居たと、ハーバード・リードの『クレエ』(片山敏彦訳 みすず書房 1954年刊)を読んで初めて知った。二人の間で交際はあったのだろうか?

 リルケがロダンの秘書だった事は、知って居たが、クレーと一緒の建物で生活していたとは、知らなかった。

リルケの年譜を見て驚いたのは、1915年 40歳 6月~10月、ヘルタ・ケーニヒ夫人宅に留守番として住み込み、同家所有のピカソの絵「軽業師の一家」を見て過ごす。との記述だ。

あのピカソの絵を見て、リルケは、日々、過ごしていたとは、本当に驚く。

しかし、あの作品は、今、ワシントン・ナショナルギャラリーの所蔵品ではないだろうか!

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