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2011/09/18

「私は孤独になりました。」と平成7年6月1日、阪神淡路大震災後はじめて大勢の前に立たれた俳人永田耕衣の第一声の言葉を、俳人永島靖子さんの散文集『秋のひかりにー俳句の現場』(紅書房刊)のエセイ「蝶と藪柄ー震災後の耕衣」で、知った。

 去る11日、西荻窪の数寄和で、開催された第669回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」高橋睦郎の二次会にまで顔を出された俳人永島靖子さんの顔をみて、頂いた散文集『秋のひかりに』(紅書房刊)のことを思い出し、繙いていて、この「私は孤独になりました。」と言う言葉で、立ちどまってしまった。

「昭和初期に、「俳句研究」が、俳句であなたは何を詠みますか、というアンケートを誌上でしたところ、三橋鷹女さんが、たった二文字で、「孤独」と答えた。それを誌上で見ましてね、これはショックだった。(略)彼女が「孤独」だと端的に断定されたことが、潔い快感として今私によみがえってきておるわけです。あれは驚きでした。」と永田耕衣が言ったと記されている。

確か永田耕衣の書のなかに、「孤独」の書がある筈だ。

私は「孤独」の二文字を、まだ書くことは出来ない!

この本のあとがきに、「フランスの詩人フィリップ・ジャコテの詩集『冬の光に』(1977年刊、知友後藤信幸氏の訳がある。)と題するものがあることにも触発された。」と記されているが、『冬の光は』は、国文社から2004年に、刊行されている。

永島靖子さんが、80歳、と知った。

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