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2012/04/03

彫刻家砂澤ビッキのことが新聞に出ているよと、親しい友人が教えてくれた。「彫刻家が求めた理想の村」と題し、河上實さんが2日の日経の文化欄に書いていた。

 懐かしいね砂澤ビッキ。

今から、振り返ると、死の一週間前に上京したことになる。

自分の展覧会のオープニングにストレッチャーに乗って、暴風雨のなか入院先の病院からやって来た。

展覧会会場を見回るビッキの足は、ビンビンに腫れあがっていた。

砂澤ビッキの上京は、写真家の野掘成美氏が教えてくれて、酒井忠康氏も共に、その会場にいた。

ビッキの事は、他にも沢山書いたから、繰り返さないが、河上實氏の事は、お会いしたことがないと思うが、話しには聞いていた。

あの廃坑の小学校にも30年前には「詩の隊商 北へ!」で、訪れている。

1981年には、東京で、私がプロデュースしたグループ展「北の詩人たち展」にもビッキは参加し、作品を出している。
1984年には、札幌の札幌アートプラザで、「北の詩人たち展」も、ビッキを中心に集まった。

1987年からは、「もののふたちの字歴書展」を村井正誠・中川幸夫・砂澤ビッキ・渡辺豊重・天童大人で始まり、翌年からは、酒井忠康・大沢昌助・那珂太郎などと続け、14年間、ビッキが、村井正誠が亡きあと続き、14年後に、終わった。

砂澤ビッキ。彼から戴いた手巻きの懐中時計が、今でもプロジェクトで活躍している。

砂澤ビッキには、沢山思い出が有る。

河上實さんの文で、ビッキのグローブのような大きな手を想い出す。

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