« 詩人岩崎迪子 1月21日(月)午後7時から、第879回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、11回目の参加!広尾の宙に、自作詩を聲に乗せ、撃ち込む! | トップページ | 詩人有働薫 1月22日(火) 午後7時から、第880回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、23回目の参加。久し振りに広尾の宙に、自作詩を聲に乗せて撃ち込む! »

2012/12/20

私の聲の師、不出世のソプラノ歌手で、チェリスト、ロストロ・ポーヴィッチ夫人でもあったガリーナ・ヴィシネフスカヤが12月11日、86歳で亡くなったと知った時、色々なことが、想い出された!

私の聲の師、不出世のソプラノ歌手で、チェリスト、ロストロ・ポーヴィッチ夫人でもあったガリーナ・ヴィシネフスカヤが12月11日、86歳で亡くなったと知った時、1990年7月、ザルツブルグのモーツァルテウム・サマースクールで、初めて開催された3週間のガリーナ・ヴィシネフスカヤのマスタークラスで学んだことが、蘇えってきた。

ガリーナの師もまたガリーナと言うが、教えを2ヵ月でマスターしたと。あの3週間、午前に3時間、午後3時間、全てに立ち会い、聴いて来た。

二週間目の月曜日の朝、一緒に、ロンドンのブリテン・フェステバルに行こう、とガリーナに誘われたが、先約が日本に有り、残念ながら、お断りをした。それが気に障ったのか、日本に来日した折、面会を希望したが、敵わなかった。
日本に有る先約は、今、活躍中の作家辻原登が、芥川賞を取ったら日本に戻り、花束を贈呈すると、当時の文学界の湯川豊編集長と約束していたからだ。
もしあの時、ガリーナの頼みで、ロンドンに行っていたら、今、どうしているだろうと考えるときがある。
聲、は出て、喉は痛まなくなった。
ガリーナ亡き、今となってはプロジェクト参加詩人に、少しづつ伝えて行くことになるだろう!ボリショイ劇場で、追悼公演でも有れば、聲を撃ち込んでみたいものだ。
行くか行かないか迷った、あの時、英文学者壽岳文章、画家村井正誠、人類学者西江雅之氏らが、滅多にない機会だから、行った方が良いとの助言どうり、行って良かったのだ。

|

« 詩人岩崎迪子 1月21日(月)午後7時から、第879回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、11回目の参加!広尾の宙に、自作詩を聲に乗せ、撃ち込む! | トップページ | 詩人有働薫 1月22日(火) 午後7時から、第880回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、23回目の参加。久し振りに広尾の宙に、自作詩を聲に乗せて撃ち込む! »

ウェブログ・ココログ関連」カテゴリの記事

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

おすすめサイト」カテゴリの記事

ニュース」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

芸能・アイドル」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

海外」カテゴリの記事

La Voix des Poètes」カテゴリの記事

詩人」カテゴリの記事

音楽家」カテゴリの記事

朗読会」カテゴリの記事

精神世界・癒し」カテゴリの記事

新聞・月刊誌・週刊誌」カテゴリの記事

詩・文学・翻訳」カテゴリの記事

オペラ・歌舞伎」カテゴリの記事

ロシア文学・ロシア詩」カテゴリの記事

人材・才能」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 私の聲の師、不出世のソプラノ歌手で、チェリスト、ロストロ・ポーヴィッチ夫人でもあったガリーナ・ヴィシネフスカヤが12月11日、86歳で亡くなったと知った時、色々なことが、想い出された!:

« 詩人岩崎迪子 1月21日(月)午後7時から、第879回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、11回目の参加!広尾の宙に、自作詩を聲に乗せ、撃ち込む! | トップページ | 詩人有働薫 1月22日(火) 午後7時から、第880回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、23回目の参加。久し振りに広尾の宙に、自作詩を聲に乗せて撃ち込む! »