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2012/03/17

昨夜のプロジェクト第736回の天童大人に、広尾のギャラリー華に、お出で下さった皆さん本当に有難うございます。初めてメールでは往来が有りましたが、思いがけない方々に初めてお会いできました。有難うございます。今後とも宜しく、お願致します!

 広尾のギャラリー華では今迄、一度も聲を撃ち込んでいませんでしたので、オーナーの福井女史に聴いて頂くために企画したのですが、急用でお留守になりましたので、ゆっくりと聲を撃ち込もうと考えて居ました。

 処が、あの狭い空間に10人以上の方がおいで下され、本当に有難うございます。

思いもかけず、参加詩人の詩集も、売れました。
有難う御座いました。

今、雨です。これから新潟に行きますが、これで新潟に雪が降れば、昨夜話した通りになります。

昨夜は、聲を出す原点。改めて聲を撃ち込む難しさを知りました。

足場がないと言うことが、どんなに窮屈な事か!

温風を浴び続けてゐると、30分以上では、聲が出て来なくなります。

驚きました。まだまだ場の力を知る必要があります。

どうかまたお出かけ下さい。

また新作を書き、聲に乗せます。

本当に、有難うございました。

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2012/03/14

民俗学者柳田國男が、ジュネーブに2年間住んでいたことは、今朝の毎日新聞11面 発信箱 伊藤智永ジュネーブ支局の記事を読むまで、迂闊にも、全く知らなかった。伊藤智永記者は、良い情報を日本に伝えてくれる!

 ジュネーブ支局の伊藤智永。この名前は、かって前原誠司が、稲盛に裏切られたとか、色々と愚痴をこぼす政治屋だと言うことを教えてくれた記者だ。

もともと口先だけで、対米従属重視だけの政治屋の話。
こんな人物が、日本国の表舞台にゐることが現日本の状況を、良く現わしていると言える。

さて柳田國男が、ジュネーブに住んでいた事に素直に驚いている。
あの民俗学者が、2年間、ジュネーブに住んでいた。

これは非常に大事な事だ。なんで?

海外で1年以上2年以内、生活した経験があるかないか?
その後1年以上2年以内、日本で生活し、その後1年以上2年以内海外で生活した人間であるかどうかは、ある基準で表現者を見る時に、役立つことは、40年前の京都の先達者の話だ。

昨日の毎日新聞の2面に、ジュネーブ・伊藤智永の記事として「国連の人種差別撤廃の委員会(事務局・ジュネーブ)は、在沖縄米海兵隊・普天間飛行場(宣野湾市)の辺野古(名護市)移設計画が歴史的な琉球先住民差別に当る恐れが強いとして、日本政府に対し、人権侵害問題の観点から計画の現状や地元住民の権利を守る具体策について説明を求める異例の質問状を出す。」

琉球先住民差別!この視点から沖縄問題を考え直してみなくては、ならないのでは?

琉球先住民差別問題の専門家は、誰なのだろうか?

日本政府は、どんな回答書を提出するなのだろうか?

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2012/03/13

詩人筏丸けいこ 4月7日(土) 第742回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に、11回目の参加!どう聲を撃ち込み続けて行くのか。乞うご期待!

天童大人プロデュース

 -「目の言葉」から「耳のコトバ」へ-

詩人筏丸けいこ 11回目の参加!

愈々、筏丸けいこ、現代の詩の世界に、完全復帰する、第一歩に。

詩人伊藤比呂美が、このプロジェクトに参加して2回目で、完全復活した例を思い起こすのだ。

集中的に、聲を撃ち込み続けたら、どう変わるのか、試みて見よう!

詩人筏丸けいこ どう聲を撃ち込むのか?乞うご期待!

予約・問い合わせ

ギャラリー華 106-0047 港区南麻布5-1-5
℡&Fax 03-3442-4584

北十字舎 ℡03-5982-1834 Fax 03-5982-1797

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詩人長谷部裕嗣 4月4日(水)第741回プロジェクト「La Voix des Poètes(詩人の聲)」に2回目の参加!初めて三宿の会場で、聲を撃つ!乞うご期待!

  天童大人プロデュース

 -「目の言葉」から「耳のコトバ」へ-

詩人長谷部裕嗣 2回目の参加。聲を撃ち込みたいと思った若い詩人には、どんどんチャンスを与えるが、このプロジェクトの700回を超えた世界は、見た眼よりも厳しいのだ。

5回、10回、15回、20回、25回と節目の回は、特に、難しいのだ。

詩人伊藤比呂美からの推薦で、得たチャンスを長谷部裕嗣はどう活かすのか。乞うご期待!

予約・お問い合わせは

Star Poets Gallery(三宿)世田谷区太子堂1-1-13
佐々木ビル2F

     ℡&Fax 03-3422-3049

北十字舎 ℡03-5982-1834

     Fax 03-5982-1797

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2012/03/11

作家森茉莉の恐らく全集にも、何処にも収録されていないエセイ「不思議な国」が、引き出しの奥から出てきた。貴方のことを書いたわよ、といって茉莉さんからいただいたコピー紙が、薄く暈けていて、変色、退色し読み切れないコピーだった。

 暈けたコピー紙に、拡大鏡を当てながら、読み解いた作家森茉莉のエセイ「不思議な国」。

横浜で刊行されたタウン誌に掲載されたエセイ。

時期は1971年から、1972年7月までの間に、掲載されている筈だが、どなたかご存じないだろうか?

 
   エセイ「不思議な国」 森茉莉

「この間私は、突然訪れた天童さんという人に連れられて柳沢二三子さんの家のパーティーに出席した。天童さん、柳沢さんと親しそうに呼ぶが、お二人とその突然の出会いの日が、初対面である。お二人は私の書いた本や雑文を全部といってもいい程呼んでいるとゐふ変わった人物で、(このごろはそういふ変わった人物がふえて来た)そういふ人々とは、忽ち親しい言葉で話し合ふようになるものである。それにその日から一週間とは絶たない或日又、柳沢二三子さんが私の部屋の近くの邪宗門という珈琲店に来て、一緒に私が毎晩そこで晩飯をたべるアラビカ(スナック)に行こうふとしたら休みだったので、六本木の「ベビイ ドール」の(三階?)に誘われて、御馳走にになることになったので、もうすっかり親しい人のようになつた感じなのである。
 そのパーティーの夜は全く、不思議な国に伴れて、行かれたアリスのようだった。その家はフランスのヴィラのような白くて、黒い鉄格子の窓の中に、橙色の灯りが燈ってゐた。中に入るとフランス式の広い、ヴェランダのあるサロンに通されたが、不思議な国と私が題に書いたのは、その綺麗な家も家だが、そのサロンにゐた四十人近い人々の中に、五十年前に欧羅巴から帰ってからといういふもの会って話をするどころか、街で会ったこともないフランス人たち、それも巴里の人が大勢ゐたからだ。私のゐたテエブルに来て私と話をした人々だけで四人もゐたのである。何か話そうとすると熟語や形容詞がなかなか出て来ないので困りながら、五十年ぶりで、少しだけどフランス語を話した。話したのはカルダンのところに三十七年縫い子をしてゐたジャニイ、マリイさんというフランス語はLOUIS,と教えた時、弟はルイ十四世で、私はマリイ・アントワネットである、などとふざけたり、花を造る青年には、私の妹が日本のデパアトでフランス人の造った赤い薔薇を買って来て呉れたことがるが、その花をヴェルモットの空壜に挿したら素晴らしく調和して、花と壜とが結婚したようだったと話したりした。巴里の人は交際が上手いから、その青年は、「あなたともっとたくさんお話がしたい」などと言った。おかしかったのはホテルの青年が私を、柳沢二三子さんのサロンに招かれて来たのでお金持ちだらうふと思ったのか、「来年の夏はフランスに来るか?そうしたら僕のところに来い」と言ったことである。そのホテルの青年の父親で、別のテエブルにゐた年配の男はゲランの店の主人(?)だったし、お客の中には島津貴子夫人も交じってゐ、私の日常の生活のはひどく離れた世界だったのだ。吉村真理とも、私のテエブルに来て貰って話した。好きなタレント性をもったD・Jである。柳沢二三子夫人の、交際に馴れた、といやうな、誰でも使ふ形容詞では一寸不足な、欧羅巴の人のやふな性格が支配してゐるそのパアティーは、よく知っている人々だけの小宴だったとはいへ、アンチイムなものが流れてゐて、そこには、一種の温かさがあった。それで私も自身のない言葉をあやって楽しく話すことが出来たのだと言うことに、私は帰り途になってから気づいた。楽しい不思議な国だった。」

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