詩人草野心平が、騒乱の1968年5月パリ、に居たことを、初めて、『茫々半世紀』(新潮社刊)の、「変な旅(茫々半世紀・付録)』を読んで知った。あの騒乱のパリに、独りの詩人・草野心平が居た。面白いね!
詩人草野心平が、68年5月にパリに居たことは、今迄、あまり話題にならなかったのは、何故だろうか?
今でも68年パリ五月、と書けば分かるのに、何故か『パリ68年五月革命』と書く輩が居るが、パリの友人に訊ねると、誰も五月革命とは、言わないと!
このパリ五月も数人の人間と1冊の小冊子から始まったことは、知られていない。
さすが江口幹だけあって、彼の著書のタイトルは、『パリ68年5月(論創社刊)』と記されている。
69歳の詩人のヨーロッパ滞在記、としても読めるこの「変な旅」は、草野心平らしい放浪記なのだ。
これは直に読んで貰えば良いのだが、初出は、「新潮」昭和57年11月号に掲載されている。
この『茫々半世紀』の、中に、草野心平が、メキシコの画家シケイロスに出会った記述があったので、驚いた。
1956年10月の中国での話だ。
この時には、既に日本で、シケイロス展が開催されていたことが、シケイロスと草野との会話から伺われる。
こう書いて来て、中国の詩人で、黄瀛さんと戸川エマ先生の紹介で、お会いしたとき、草野心平の話が出たことを、突如、想い出した。
草野と李香蘭がスパイ容疑で捕まった時に、助けたことをも。恐らく、学院の後輩の詩人だと言うことで、気軽に話してくれた。その場には、戸川エマを始めとする同期生が数人集まった時だった。
草野心平の軽やかなヨーロッパ紀行は、何故か面白いのだ。
もしもこのエセイが「変な旅」、一本で一冊に為って居たら、もっと早く、草野心平を理解できたのかもしれない。
もう一度、草野心平の詩を読み直して見よう。
もうひとつ想い出した。新宿の居酒屋の二階の大広間で、「歴程」の会があった。
その時、各人が歌を歌うことに為って、私の番が来た。その時、草野心平さんは窓へりに身体を横たえていた。
わたしが歌ったのは、グズリ―・ベアーだ。歌い終わった時、草野さんが、俺も歌うと言って、歌い始めた。
その時、私の聲に、インスパイアされて、聲を撃つ気に為ったのでは。歌い終わった草野さんと視線が合うと、ニャリと笑った。
う~ん、詩誌「歴程」の詩精神の本質が、もっと良く、分かるかも知れない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)