続・続・続・続ソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤ教授のマスタークラスのこと。
扉が開き、一人の男を引き連れて教室に入ってきたガリーナ・ヴィシネフスカヤの顔を見て安心し、来て本当に、来て良かったと思った。
1月に東京で会った時より、パリで初めて、見たガリーナに姿が戻っていたからだ。
教室には他に日本人は居るだろうかと見渡したが、分からなかった。
直ぐ、オーデションが始まった。
恐らく最年長だからと勝手に思い込んでいたが、数人の後に、わたしの名前が呼ばれた。
聲の種類は?バリトン?テノール?と矢継ぎ早に言われたが、一度も考えたことが無かったので、分からない。ガリーナがやってごらんと言うので、今は亡き歌舞伎役者中村獅童の母堂に頼んで、手に入れた柝を両手に持ち、跪き、柝の頭を出してから、「即興朗唱」のときの同じに、聲を撃ち込み始めた。
わたしの目的は、ガリーナに、自分の聲を聴いてもらうことだったので、思いっきり撃ち込み、柝を1つ鳴らして終えると、教室中が拍手で、終わった。
「日本人だね」「私は興味を持っている」「私は好きだよ」。
それだけガリーナに言われれば十分だ。
そこで、ジリアン女史からの推薦状を見せた。、「ガリナーナは、現代のマリア・カラスだ」と書かれていた。
「これ貰っていい?」と尋ねられたので、差し上げた。「処で、貴方は何を望むのか?」と言い、「待っていなさい」と言われ残された。
すべてのオーデションが終わり、全員が退室させられ、専属ピアニストのボリスに音を出させたが、緊張したのかまったく聲がです、ガリーナも諦めた。
一週間が経ち、ガリーナの気性も分かったので,「貴女の写真を撮りたい」いうと許可してくれた。
翌日から、教室での授業風景を撮り始めた。1本目をすぐ現像に出し、彼女に見せた。
その中の1枚に、彼女の奇麗な脚の写真があった。
仲間たちは,怒られるよと言っている内に、ガリーナが、入って来て、笑いながら「やったわね」と笑いながら言ったが、翌日からは、最終日まで彼女は、パンタロンスーツで押し通した。
それから毎日、写真を撮り続けながら、3週間、ガリーナの聲を存分に聴いた。誰よりも早く教室に出た。
三週目に入った月曜日の朝。誰も居ない教室で、貴女はいつも早いね、来週から、ロンドンで、ブリテンのフェスティバルが有るので、一緒に行かないかと誘われた。(続く)
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