ノーベル文学賞詩人、オクタビオ・パスの聲。 昨日、久し振りに神保町の行きつけの古書店を巡った。そのワゴンにで、1冊の見慣れない黄色の本を見つけた。
ノーベル文学賞詩人、オクタビオ・パスの聲。
昨日、久し振りに神保町の行きつけの古書店を巡った。そのワゴンにで、1冊の見慣れない黄色の本を見つけた。ドナルド・キーン著『黄犬交遊抄』(2020年2月13日、岩波書店刊)。もしかしたらと思い、手に取り、目次を見た。「1,忘れ得ぬ人びと」の列に、オクタビオ・パスの名前が在った。
嘗てOctavio Pazの詩集『PIEDRA DE SOL』が、2014年3月31日 文化科学高等研究院出版部から刊行された時、気にも留めず、数年前に、読んでみて、収録されている「オクタビオ・パス生誕百周年に寄せて」に、寄稿しているドナルド・キーン氏の「常軌を逸した東洋通」を読み進んで行くと、あ!と聲を出していた。私のことが書かれていたからだ。そして今、この『黄犬交遊抄』に、オクタビオ・パスのことで、再び小生のことが書き記されていた。
「オクタビオについての最も幸せな記憶の一つは、彼が東京に来た時だった。オクタビオは上智大学で講演したが、/(中略)」なによりも感激したのは、質疑応答の時間だった。実を言うとわたしは誰かがばかげた質問をするのではないかと心配した。しかし最初の質問は、信じられないくらい素晴らしかった。一人の若者が次のように言ったのだ。「詩の中で、あなたは息の重要さをいつも強調しています。しかhし、あなたはマイクロフォンを通して話してきました。もしよろしかったら、マイクロフォンなしで詩を朗読していただけますか・と。マイクロフォンなしで、オクタビオの声がうまく届くかどうかわからなかったが、オクタビオは喜んで試してみた。静寂に通済まれた会場に、オクタビオの声が完璧に響き渡った。それは、感動的な瞬間だった。と書かれている。実は、今詩種を持って来ていないと言った。その時、私の三列後方にいたメキシコ大使館員が、「ここに在る」と言って、1冊の詩詩集を手渡してくれた。
どれほど感動的だったのかは、1984年の花椿賞を受賞した吉増剛造の『オシリス、石の神』の受賞レセプションの席で、飯島耕一・諏訪優両氏から、「天童のお陰で、オクタビオ・パスの肉聲が聴けた。ありがとう」と。突然言われたことからも、パスの肉聲を聴けたあの瞬間は至福の時だったのだ。