「日本と言う国は、不思議な国で、自分の国のいいものを惜しげもなく捨てて、わるいものばかり取り入れて行くのを国是としているようだ。国民全体が何でも簡便なことばかり喜んで、骨を折ることを嫌っている。と作家小島政二郎は、1977年刊の『味見手帖』に書いている。
「日本と言う国は、不思議な国で、自分の国のいいものを惜しげもなく捨てて、わるいものばかり取り入れて行くのを国是としているようだ。国民全体が何でも簡便なことばかり喜んで、骨を折ることを嫌っている。芸になっていない芸人ばかりが跋扈しているのなど、その第一の例であろう。それを、みんなが喜んで迎えているのだから呆れる外はない。そのために、落語も、講談も、浪花節も、漫才も、聞くに堪えるものは一人もいなくなってしまった。その結果、「うまい」と云うものが全部亡びてしまった。鶏も、豚も、牛肉も、みんな「うまく」なくなった。「うまいもの」は、途方もなく高いものなっえ、私たちの口に入らなくなった」この文章は、作家小島政次郎著『味見手帖』(KK・ロングセラーズ 1977年刊)。
今から36年前に、既に多くのモノが亡んでいる。安藤鶴夫のような評論家が居ないのも、書きたい人物が居ないと言う事だ。今のテレビなど、ほとんど垂れ流しで、東京オリンピック、を刷り込んでいるが、何処まで刷り込めるか?興味がある。
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